地獄の道行き

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「もしかして、土肥の方なの?」 伊豆中央道に入ってから、私は彼の目指す目的地に思い至った。 元々静岡が故郷だし、伊豆には何度も来たことがある。 ただ伊豆の温泉と言えば熱海や伊東、修善寺の方が有名だし、どうしてもそちら側に行く機会が多かった。 「ん。土肥じゃなくて堂ヶ島温泉」 「堂ヶ島」 堂ヶ島は温泉に行くと言うより、海水浴で1、2度行ったくらいだろうか。 土肥より更に南下する事になる。 また随分アクセスの悪い場所を選んだものだと思った。 土肥温泉を過ぎて海沿いに暫く行くと、ちょっと休憩しようと亮輔が車を停めた。 「ここってもしかして…」 「俺たちにピッタリの場所だろ」 そう言って駐車場に停めた車から降りた亮輔はいつもの悪戯っぽい表情だ。 恋人岬。 むしろ最も似つかわしくない場所だ。 亮輔は、続いて車を降りた私の方に手を差し出した。 私は恐る恐るその手を握った。 大柄で優に180㎝は越える長身の亮輔と157㎝の私では、並んで歩くとデコボコな感じだ。 それでもしっかり手を繋いで寄り添うように歩いていると、普通に恋人同士に見えるのだろうか。 まだ静岡に住んでいた頃、友人たちが恋人やボーイフレンドとここへ来た話を羨ましく聞いていたことを思い出す。 自分もいつか恋人が出来たら、あの恋人岬に行ってデートするような未来があるんだろうかとぼんやりと憧れていた。 まさか結婚してこの歳になってから、その結婚相手でもない男とこうして手を繋いで歩く未来があるなんて、当時の自分には想像もつかなかった。 いや、そもそもいい年をしたアラフォーの二人が手を繋いで歩くってどうなの? そんな事をモヤモヤと考えながら、岬までのボードウォークを歩く。 風は少し強いが雲ひとつない快晴で、駿河湾越しにうっすらと富士山が望めた。 展望デッキの愛の鐘がある場所まで15分ほど歩くと、亮輔は悪戯を思いついた悪童のような顔で愛の鐘の説明が書かれたボードを指差した。 「ほらこれ。やっとく?」 『愛の鐘を三回鳴らしながら愛する人の名前を叫ぶと愛が成就する』 「乃梨子の大好きなジンクスじゃん」 ニヤニヤしながら言う亮輔が腹立たしい。 「やりません!」 きっぱりはっきり拒否するが、亮輔は、俺はやる、と言って鐘の舌から下がるロープを手に取った。 思わず目を見張る私を尻目に、ロープを揺すってカランカランカランと三回鳴らしながら、 「のりこぉーっ、のりこぉーっ、のりこぉぉー」 と海に向かって絶叫した。 その大声に周りにいた人たちが一斉に注目するのが分かり、恥ずかしさのあまり顔を覆った。 「乃梨子はやらないの?」 「…やらない」 「乃梨子は誰の名前を叫ぶのかな」 「だから、やりません!」 逃げるように展望台を後にする私の背中越しにからかいの言葉を掛けながら亮輔が追ってくる。 駐車場に戻る直前で捕まって肩ごと抱き込まれた。 「…怒ってる?」 近い位置で顔を覗き込まれて思わず俯いた。 「…怒ってないわ。ただ居たたまれなかったかっただけ」 「何で。みんなやってるじゃん」 「そうだけど、ジンクスなんてあなたはノリで出来る人なんだろうけど、ここにいる人たちはみんな、多少なりともそれを信じてやってるでしょ。…やっぱり、冗談でやっちゃダメな気がするの」 「…冗談なんかじゃないって言ったら?」 私は思わず顔を上げた。 「俺は嘘でも冗談でもなく今、叫びたい名前を素直に叫んだだけだよ」 言って亮輔は推し量るように私の目を覗き込んだ。 「乃梨子は?乃梨子の今叫びたい名前は誰の名前?」 私の叫びたい名前? 誰だろう。 いや、そもそも私は叫びたくない。 いくら名前を叫んだところで、全ては空しいと知っているから。 愛を強く信じて願ったところで、ただその瞬間だけのまやかしだから。 信じる心を失った私に、愛を信じて叫ぶ資格なんかないのだ。
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