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プロローグ
「‥休日出勤、珍しいわね‥」
ダイニングで1人夕食をとる夫に冷蔵庫から出したピッチャーから注いだ麦茶を出しながら、今週末の休日出勤を告げられて一瞬言葉に詰まった。
「ん?そうか?前から結構あっただろ」
夫は好物のキスの天ぷらを頬張りながら置かれた麦茶のグラスに手を伸ばす。
「ンー。やっぱりキスの天ぷらは最高だな。…欲を言えば揚げたてが食いたかったけど」
「ごめんなさい。でもあなた今日は定時で帰れるって言ってたから揚げちゃった」
大切なのは声の調子に気を付けること。暗くならないように。責める調子にならないように。
「‥うん。帰りしなに部長に捕まってな‥」
僅かに歯切れの悪い言い回しに聞こえるのは被害妄想。
イッタイドコノブチョウニツカマッテタノ?
思わず溢れ出しそうになった言葉を飲み込む。
「‥課長になってからはほとんどなかったじゃない」
変わりに出てきた言葉は、しかし少しばかり声が強かった。
マズイ
「‥は?」
食事に夢中になっていた夫が思わず顔を上げてこちらを見る。
「何が?」
「だから、休日出勤よ」
咄嗟に体ごと顔を背けてシンクに手を伸ばす。
「ああ、まぁ前よりは少なくなったけどな。実働部隊は下に任せられるようになったし」
「そうね‥」
「でもまだいざって時は俺が出ていかないとまずい時もあるんだよ」
「…」
「‥何か予定あったか?」
私は咄嗟にカレンダーに目を向ける。
「ううん、別に…。ただその日は亜梨沙がおばあちゃんの所にお泊まりだから、たまには二人で出掛けようかと思ってただけ…」
夫に背を向けたまま何とか平静を装う。
「…ああそうか。そう言えばそうだったな」
心なしか夫の声音が弱々しい。
「仕方ないわ。お仕事なんだから」
明るい声を出して振り返りニッコリと微笑みかける。
まだ私だってこれくらいのことはできるのだ。
「‥すまないな」
夫の声音が弱くなり僅かに瞳が揺れるのを捉えた。
途端に冷静を保っていた私の鼓動が跳ね上がる。
胸の奥に広がるモヤモヤとしたものが胃の奥に重くて黒いかたまりとなって蟠るような不快さを感じた。
「まあでも、二人で出掛けるなんてまたいつでも出来るから」
「…そうね」
ソウカシラ?
気を取り直したように言う夫に同意の頷きをしながら、私の頭は別の事を考えていた。
ヤッパリハヤクケイカクヲススメナケレバ
もう先伸ばしには出来ない。
この『家庭』を守る為に、実行しなければ。
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