城下のワルプルギス

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 さあさあ、みんな集まって。  こんな物語は聞いたことあるかい?西の果てにある国の、この世界をそれはもう愛したあるお姫様と彼女に付き従う忠実な僕のお話さ。  聞いたことないって? じゃあ、物語を始めよう。そうだね、物語のはじめはこんな感じでどうだろう。  ――むかーし、むかし。ある西の国に、それはもうこの嫌な世界が大好きなお姫様と、お姫様を心から愛する下僕がおりました。 「ねぇ、ハイリ。私ね、今日はとっても気分がいいの」  そう言って姫は薄く微笑んだ。  あちらこちらで花がほころび、草木の緑がより一層鮮やかさを増した陽気のいい日。バルコニーでティーカップを片手に少し遠くを見(はる)かすその姿は、まさに一国の姫たる美しさである。  そんな姫に使えることが出来るなんて、なんて幸せ者なんだ!  (ぼく)の周りは口をそろえてそう言う。  でもそれは姫の本当の姿を知らないから。 「ねぇ、私の(しもべ)さん?」  ハイリ。  彼女が僕に与えてくれた名だ。  この国では宮仕えの者のみが、主君から名前を与えられる。  城下の民にもそれぞれ自分たちで決めた「呼び名」はあるが、それらはこの国での正式な「名前」とは認められていない。  つまり、国民のほとんど全てが「名無し」なのだ。でもそれは、悪いことではないと、今の僕は思っている。 「ねぇ、ハイリ?聞いているの?」  少し声音に不機嫌さをにじませ、姫が僕の名前を呼ぶ。 「申し訳ありません、姫。少し呆けておりました」  僕は正直に言う。ここでどんなに取り繕おうと、嘘を並べようと、全ては意味を持たない。 「もう。ハイリ。ちゃんと聞いてよ」 「申し訳ありません。もう一度お聞きしても?」 「あのね、ハイリ。私、城下の村を襲う狼の話が増えてきたことが、気になるの。なんとかならないかしら?」 「狼、ですか。何とも童話のような素敵な表現ですね」  狼。これは彼女の言葉遊びだ。城下の村で、今年に入って結婚式だの、愛の告白だのが増えている。それを姫は「狼」と称していた。 「最近よく話を聞くとはいえ、普段からちらほらとあることですし、今更になって姫がお気になさる話ではないのでは?」 「それもそうなのだけどね、ほら、もうすぐ私たちの夜が来るでしょう?」  ああ、そうか。今年ももうそんな時期になっていたのか。 「私ね、ハイリ。だいぶ心の広い方だと自分では思っているのだけど、やっぱりね、私の庭を荒らされるのは、嫌なのよ。特に、あの夜が近い今は、みんなお互いのことを良く見るでしょう?ちょっとでも気になることは、やっぱり、放っておけないわ」  姫はそう言うとついとこちらに目を向けた。 「だからね、ハイリ。ぜーんぶ、きれいにお掃除してきて?散らかった村も、散らかす狼も、甘ったるい風も、私、気に入らないわ」  そう言うと、姫はにっこりと微笑んだ。 「ねえ、ハイリ。私の大好きな世界を、大好きな香りで満たしてきて?村も、狼も、私の世界を汚したものはみんないらないわ。一人残さず刈ってきなさい」  そんな恐ろしいことを、彼女は訳もなく僕へ命令する。そして、命令された僕はそれを実行する。実行しないという選択肢は、ない。 「仰せのままに、姫」  否定することも、疑問を抱くことも、ましてや逆らうことなんてできる訳がない。 なぜなら。 「僕の名はあなたに与えられた僕だけの呪文。僕を動かすのも、僕を縛るのも、僕を意のままにするのも、全てはこの名を与えてくれたあなただけに出来ること」  僕の言葉に姫は目元を緩ませ、華のように微笑む。 「ええ、そうね、ハイリ。あなたは私の僕だもの。さぁ行きなさい、ハイリ。私の気に入らないものを、鮮やかな赤で、鉄の匂いで染めてきて?」  そう言うと僕の姫は本当に楽しそうに笑い、手にした紅茶を口にするのだった。 「きっとどこもかしこもきれいになるわ。そして今年もまた、きっとみんな憧れの目で私を見るのよ。楽しみね。ありがとう、ハイリ。私はあなたが大好き。ああ、でもまた今年もお城を引っ越さないといけなくなるわね、ごめんなさい?」 「お気になさらないでください。引っ越しなんて、毎年のことではありませんか」  そうして僕は彼女の御前をあとにした。  この国で名前を持つのは、彼女の操り人形(ぼく)だけに与えられた特権。操り人形には自分の意思で動くことなど許されはしない。たとえこれから赤く染まるのが自分の生まれた村であっても、かつての隣人であっても。「名前」を与えられた者は彼女の御心に従うのみ。そしていつしか、それを何とも思わなくなるのだ。  ――なんて嫌な世界なんだ。  僕が使える姫は、そんな嫌な世界が大好きな、この地を統べる魔女。  その魔女から名前という呪文で縛られた僕は、彼女に従うことしか出来ない操り人形。 「そんな彼女を、僕は愛してやまないんだ」  このあとの続きが気になる?  いやいや、物語はここで終わりだよ。これ以上は私の口から話すことなんてできないさ。  君たちも、命が惜しければこれ以上は気にしないことだね。さぁ今日のお話はこれまで。気にしていたら、いつ理由を探す魔女の目にとまるか、分かったものではないよ。  じゃあなんでそんな話をしたのかって?  そりゃ、なんてったって、今年も魔女たちの夜がやってくるからね。  僕は彼女のご機嫌を取るのに忙しいのさ。
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