第1話:FUSAFUSAの噂

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第1話:FUSAFUSAの噂

2a7b4233-1aa7-436f-8a4b-a77dfdcf9c75 ━ お兄ちゃん、じゃあね!…… ━  僕は時々思い出す。妹が笑顔で学校に行く姿を。今はもう見ることができない幻だ。10年なんて、あっという間に過ぎるものだ。妹が大過なく成長していたら、今はどんな笑顔を見せていただろうか……。 きっと100年前の人たちは22世紀になれば頭髪の減量なんてテクノロジーが解決すると思っていただろう。でも現実は違った。現在世界では40基の超高度AIが稼働している。公にはね。その人智を遥かに超える40基の能力をもってしてもいわゆる「ハゲ」を無くすことができなかった。いや、無くしてはならないのだ。何故ならハゲの治療を謳うクリニックの仕事を根本的に奪ってしまうからだ。頭髪クリニックは巨大な利権を持ち、シンギュラリティ以降の社会の業態変化を受け付けなかった。ハゲを根治してしまうとクリニックに定期的に通う常連様が次々といなくなってしまう。クリニックにとって収益性の確保は大きな問題で、リピーターがいないと成り立たない商売なのだ。 まだ僕の話をしていなかった。僕は雲切セイタ、医療技術開発大手シリコンメディカルテクノロジーの秘密部隊“ヘイジ”の特殊部隊員。大学院時代は宇宙医療科学の研究の為、軌道エレベーターの宇宙実験室で日本軍の戦意喪失兵器「ゼロヘアー」の開発メンバーの一員だった。ある日ゼロヘアーの有効性確証実験の為“デーモンハゲ実験”という極めて失毛性の高い「特殊失毛放射線射出装置」の発射任務を任された。この実験は軌道上から数千キロ離れた仮想敵国のリーダーの頭頂部をピンポイントに狙い、ハゲにするという寧ろ実戦形式のシビアな実験だったのだ。この兵器が完成すれば世界の安全保障の常識が覆る。何せ軌道上から対象国の国民全員をハゲにできるスペックを持つ戦略衛星砲の一種であり、外交交渉の現場で「日本に屈するか、国民全員がハゲになるか」のどちらかを選べと迫ることができる。国民全員の頭髪を再生するには巨額のコストがかかり、数十年にわたって仮想敵国を財政的困難な状況に追い込める。 実験は順調に進行していた。国民に対する演説を行う仮想敵国リーダーの頭髪喪失過程をリアルタイムでメディアが撮影しており、日本軍の開発担当官から有効性について“妥当”であるという評価を得ることができた。しかし実験の最終フェーズに事故は起こった。それはデブリの衝突である。宇宙実験室は損傷し、特殊失毛放射線射出装置の放射線ベクトルが研究員に向いてしまったのだ。直撃された研究員は全身の毛が永久脱毛し、そのショックで生命を脅かされた。不幸中の幸いか、僕は頭頂部をやられただけで済み、最も軽症であった。しかしそれでも20代前半で頭頂部がツルツルになってしまったことは無念であり、それ以降僕に彼女ができることはなかった。 そして28歳の今はヘイジの大尉として頭髪クリニックの巨大な抵抗勢力と戦いながら、頭髪の低コスト瞬間再生の手掛かりを探す任務に就いている。噂によれば特殊失毛放射線射出装置のその後は巨大頭髪クリニックコングロマリットFUSAFUSAの手に渡っており、彼らの利益を守るために活躍しているそうだ。いつ日本国民の大半が頭髪を失ってもおかしくない、非常に切迫した状況である。僕の知る限り、FUSAFUSAは何らかの頭髪瞬間再生技術を得ており、恐るべきことにまだIAIA・国際人工知性機構の監察下にない闇の超高度AIを保有している。つまり世界の安全保障環境の安定を一企業であるFUSAFUSAが掌握していることになる。 正直学生時代に突き進んできた道を僕は悔やんでいる。人から頭髪を奪う行為に加担し、世界に重大な結果をもたらしてしまった。罪滅ぼしか、僕はいつの間にか増毛に命を懸ける現場に身を置くことで、過去の清算をしているのだ。それでも僕は自分自身を悔やみ続けるだろう。人生のレイヤーをハゲ散らかせば、今とは真逆の道を歩んできた僕の黒歴史は暴かれる。黒に白を足し続けて灰色になりはしても、純白には決してならないのだ。 「雲切セイタ君、君はなぜシリコンメディカルテクノロジーに入社しようと思ったんだね?しかも極秘のはずのヘイジの存在を知り志願した。君の経歴ならば弊社ではなくFUSAFUSAの方が活躍できただろう。」 面接官が僕に問うた。当然の流れだ。僕はただ黒色の人生ではなく灰色の人生を歩みたいだけだった。 「風呂に入り髪をドライヤーで乾かす。朝起きて髪型をセットする。僕はそういう当たり前の日常を愛しますしこれが侵されてはならないと身をもって知っています。この頭頂部が僕の戒めです。」 「ハゲ克服のために戦う道は容易いものではない。特にヘイジは命を落とす覚悟がいる。それでも君は頭髪を守る覚悟があるのかね?」 「はい、それが僕の選択です。」 僕は入社から4年間、FUSAFUSAの闇を追い続けた。大尉にスピード出世した今でも、FUSAFUSAの頭髪関連技術の接収には至っていない。彼らは彼らでPMC・民間軍事会社と協力しており、僕の体には銃創がいくつかある。日本国内で、世界の頭髪安全保障を占う戦いは血の匂いにまみれていた。軌道上でグラウンドゼロを見た僕は、この戦いから逃げてはならない。あの日僕は頭髪の呪縛に駆られたのだ。
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