笑顔、忘れんなよ

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「……ブリッコ尻軽ビッチ」  真実を伝えたところでどうせそんなの嘘だとまた奇怪な行動に出るのだろうと、目を伏せてこれから起こるであろう暴動ないし暴行に対し身を固めていた。しかし、雨音だけが鳴り続けていた。  恵茉の状態を言い表すならば、放心状態じゃないだろうか。どこを見るわけでもないような宙ぶらりんな目つきに脱力しきった両腕。足は地面に突き刺さっているのではないかという具合に重思いさを帯びている。やがてため息のように言葉を吐いた。 「……そ」  落胆の表情に見本があるのならこんな顔なのだろう。なら何に落胆しているのか。現実に。現状に。現在に。その証拠かどうかわからないが、椅子にもたれかかりながら壁をドン、ドンと殴っていた。重々しく、音が心臓に響く。超高性能スピーカーが目の前にある感覚だった。 「もうダメだ、おい、物は大切にしろ!」  俺は手を掴んだ。なおも抵抗する恵茉の空いている手も掴む。そのまま噛んできそうな勢いだった。 「何をしてるの」  恵茉の動きがピタリと止まる。教室の入り口にはスズがいた。無表情でこちらを訝しそうに眺めている。側から見れば俺が襲っているような構図にも見えなくはない。 「その……違くて、」  しかし、俺が言い訳を口にする前に、恵茉が慌てたように血相を変えて言葉を発した。手を離そうとするよりも早く勢いよく立ち上がり、自分の手で自分の足を殴っていた。 「……鈴ちゃ、」 「やめて」  スズはまた両手で耳を塞いでいた。聞きたくないとばかりに、表情も珍しく濁っていた。  恵茉は転びそうになりながらも、椅子を肉付きの悪い細い足裏で跳ね飛ばした。机に当たり椅子が倒れたころにはもう恵茉の姿は教室になかった。 「どうせ二人でわたしの悪口を言ってたんでしょ」  恵茉が倒した椅子を私の前に置き、座った。視線は床へと下がる。身を乗り出して落ちている教科書を拾い上げて胸の前に抱いていた。 「わたしもその程度だから」  小さく振られた首に遅れるようにしてついていった水色の髪がうねっていた。方向転換をするごとに乱れている。 「やっぱりな」 「何」 「耳」  首を振った隙間から見えた耳が赤くなっていた。指摘された瞬間また耳を塞ぐように押さえた。 「違う! さっき見たでしょ。わたしがあのブリッコ尻軽ビッチに嫌われているの知ってるし。わたしも……嫌いだから、そんなの……ない、あるわけない」  一瞬表情が崩れたが、教科書を開き視線を落とした。そこには確率を求める練習問題が書かれてある。数学の教科書なんて読む物じゃなくて解く物だ。ただそれは個人の考えであって、大事なのは、スズはどうなのか、ということだ。ただ『読んでいるから話しかけるな』と言われているような、そんな気さえした。
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