185人が本棚に入れています
本棚に追加
「ちょっと待って!オレ、まさか自分の噂が流れてるなんて知らなくて。彼女は、福島さんは、」
焦った姿も声も、何もかもがかっこいいなとは思ったけど、どこか、冷えた感覚に喉が締まった気がした。
私は、
私は……
「何も聞きたくありませんっ!」
人目も憚らず、大声で今里さんの言い訳を拒絶したのだった。
見上げた先に、今里さんの困惑顔。
一瞬、彼にそんな顔をさせてしまったことに胸が痛むけれど、
それでも今は、どんな言い訳も聞きたくなかったのだ。
例えパーフェクトな言い訳を述べられたとしても、それが真実だったとしても、今の私にはそれを素直に受け入れるだけの余裕がなかったから。
なにを言われても、私は自信のなさを盾に、すべてを跳ね返してしまいそうで。
それに……、今里さんが私に嘘をついた事実は変わらない。
昨夜の電話で、私に、はっきりと言ったじゃない。
昼はずっと社内にいたって。
私に、また秘密を作ったじゃない。
私は秘密が嫌いだって、知ってるはずなのに。
秘密のせいで、私達はあんなに振り回されてすれ違ったのに。
「話を聞いてほしい。オレと、」
それでもまだ何かを伝えたがる今里さんに、私は咄嗟に声をあげた。
「私はっ!」
大切な恋人を睨みあげるように見つめ返した。
彼も、私の言葉の勢いに負かされたように口をつぐんだ。
「私は……」
……だめだ。
じっと私を見る今里さんの瞳に、ふいに、涙がこぼれそうになってしまう。
私は今里さんから目を逸らし、俯いた。
近所の商業ビルに合わせてデザインされた歩道の、幾何学的な模様が視界を埋める。
涙が、下睫毛を揺らして、幾何学模様の色をぼんやり変えた。
「私、昨日のお昼、先輩達と外でランチしてたんです。それで………やっぱり秘密は好きじゃありません」
ぽそりと、小さな訴えを告げると、ふわりと、右腕が解放された感覚がした。
そして、
「………ごめん」
同じように、小さく、今里さんが告げた。
そのとき彼がどんな表情をしていたかなんて、俯いたままの私には分からなかったけれど、『………ごめん』という言葉がすべてだと思った。
つまり今里さんにも、思い当たることがあるわけだから。
私は、自由になった体を翻して、また走り出していた。
今度は、今里さんは追ってはこなかった。
走りながら、必死に泣くのを堪えていた。
堪えながらも、胸の中では叫びをあげていた。
やっぱり、秘密なんて大っ嫌い――――
あんなに秘密の社内恋愛に胸をときめかせていた自分が、もう、ずっとずっと遠くの昔のことのように、色褪せていくのを感じていた………
最初のコメントを投稿しよう!