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「あら?どうされました?何かご用ですか?」
近くの席から、まるでイレギュラーを訝しむような声が発せられたのだ。
ざわつく室内に、私も何事かと顔を向けたそのとき、
真横に人の気配を感じた。
とても大きな、気配を。
包み込まれるような無言の気配に、私は静かに見上げたけれど、
目が合うよりも早く、手を握られていた。
「……今里、さん?」
周囲のざわつきが一段と大きくなって、小さな驚き声も波紋のように広がり混ざっていく。
彼は背を屈めるようにして私のデスクに左手を置き、右手で、私の左手を握りしめていた。
その手のひらの大きさと、あたたかさに、思わずドキリとしてしまう。
だけど今里さんは、握った手を引き上げると、
「もう、秘密にするのはやめる―――」
射るような強い瞳で、私にそう告げたのだった。
そして私を立ち上がらせて、周りにも聞こえるようにはっきりと、「幸を借りていきます」と言ったのだ。
「え?え……?わ、ちょっ、今里さん?!」
手を握ったままスタスタと歩きだした今里さんに、私は引っ張られるように歩かされてしまう。
「幸?今、幸って言った?」
「え、あの二人って………そういうことなの?」
その場にいたほぼ全員の関心を集めてしまったのに、今里さんはまったく意に介さない様子で、
「オレ達、付き合ってるんです」
平然と告げたのだ。
「ええっ?」
「野田さんと?!」
「嘘、全然気付かなかった……」
「それで昨日野田さんの様子がおかしかったんだ」
ざわめきが悲鳴にも変わり、先輩達が口々に感想をもらす中、今里さんはそれらを無視するように躊躇いなく大股で歩いていくと、総務課を出てしまう。
先輩たちのざわめきは後ろに小さくなっていったけれど、廊下の先にも人目があって、それなのに今里さんは私の手を離そうとはしないで、グイグイ引っ張っていくのだ。
周りの視線が、矢よりも鋭く感じてしまう。
「あの、今里さんっ!」
たまらず、その端整な横顔に声かけたけれど、今里さんはまっすぐ前を見つめたまま、
「乱暴にしたくないんだ。頼むから黙ってついて来て」
怖いくらい真剣に、そう答えたのだった。
その強さに怯んでしまった私は、もう、なにも言えなくなってしまった。
このあと、今里さんになにを告げられるのか、少しも見当がつかないままに………
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