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今里さんが私をつれて来たのは、総務のフロアにある、総務が管理しているはずの倉庫だった。
普段施錠しているはずのそこは、なぜだか鍵が開いていて、今里さんはそれを知っているかのように迷いなく扉を開いて私を中に押し込んだのだ。
「今里さん……?」
恐る恐る問いかけると、今里さんは扉をきっちり閉めて、カチャリと鍵をかけた。
「ごめん、どうしても二人きりになりたくて。ここが開いてると気付いたから、ここなら誰にも邪魔できずに話せると思って………夜まで待てなかったんだ」
そう言って、ようやく私の手を離してくれた今里さんに、ホッとした瞬間、
「―――っ!」
今度は、力いっぱい抱きしめられていた。
今里さんの纏うフレグランスが私を包み、私の髪の中に今里さんの指が差し込まれて、彼の吐息が、いつもより近くに感じられて………
それなのに私は、彼の上質なスーツに私のファンデーションが付いてしまわないか、そんなことが頭を過っていた。
私の考えていることを知ってか知らずか、今里さんはよりいっそう、ぎゅうっと、体を締め付けてくる。
換気が万全でないこの部屋はいつも籠った空気がちょっとだけ息苦しいけど、今は強く抱きしめられた胸の方が苦しい。
けれど、その苦しさを逃そうと、今里さんの腕の中で私が身じろぐと、さらにきつく閉じ込められてしまうのだ。
「……好きなんだ。オレが好きなのは、幸だけなんだ」
まるで全力疾走した直後のような、とても掠れた声で、哀訴するように、そう告げられた。
好きだと言われているにも関わらず、なぜか切なくなってしまうような、そんな告白だった。
そして、さりげなく『幸』と呼び捨てされて、震えるような何かが体を通り抜けた。
「頼むから、オレの気持ちだけは疑わないでほしい。幸に……」
懇願するように縋るようにそう訴える今里さん。
私は胸が熱くなって、わけの分からない焦燥みたいなものに追い立てられて、無意識のうちに、自分の腕を今里さんの背中にまわしていた。
私が背に触れたとき、その広い背がわずかにビクリと動じて、それが、彼の不安を物語っているようだった。
「幸……本当は、ずっとそう呼びたかった。いい歳した男のくせして情けないけど、あまりにも気持ちが大きくなり過ぎてどこかで自制をかけなきゃ社内でもコントロールできなくなりそうで、だから、あえて名字で呼んだりして……まるで子供みたいだよな。でも本当に、こんなのはじめてなんだ。こんな風に自制心が保てなくなりそうになるなんて、生まれてはじめてなんだよ」
はじめて聞く今里さんの本心はヒリリとした痛みを感じて、それが意外過ぎて、だけど嬉し過ぎて、私はただ彼の腕の中で黙って聞いているしかできなかった。
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