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「幸はまだ一年目で仕事に集中したいだろうし、オレもエフ・レストに入ったばかりでやることも多い。だから関係を深めるのはもう少し時間が経ってからの方が……なんて悠長なことを考えてるうちに、あることないこと噂されてたなんて想像もしてなかったんだ」
そう言った今里さんは、私を包んでいた腕を、静かに解いた。
けれど、その手は私の両肩に置かれ、今度はまっすぐな目で私を捕らえて離さない。
「オレと彼女の噂があるなんて知ってたら、ちゃんと幸に説明してた。彼女との関係を。でも、幸に変に誤解されたくなかったから、一昨日の昼休みのことは……つい、隠すようなこと言ってしまったんだ。それで……結局は、幸が秘密を嫌いだって知ってたのにかかわらずオレはまた秘密を重ねるような真似をしてしまった」
懺悔のように語る今里さんは、とても小さく感じられた。
いつもは余裕ある佇まいで、聞こえてくる評判は ”いつも落ち着いてる” ”冷静沈着で大人の男の人” そんなのばかりなのに、今私の目の前にいる彼は、まるで迷子の子供のように、ひどく頼りない表情をしている。
こんな表情の今里さん、きっと、社内の誰も見たことがないだろう。
それを私にだけ見せてくれているのかと思ったけれど、次の瞬間、福島さんと楽しそうに並んで歩く今里さんの姿が脳裏に浮かんだ。
「―――やっ」
突然の小さな悲鳴が、二人きりの倉庫に響き渡る。
私は反射的に今里さんの手を叩き落としていたのだ。
「幸……?」
喫驚したように私の名前を口にした今里さんに、私は、泣きたい気持ちになった。
だって、その呼び方が、とても優しかったから。
その呼び方ひとつで、彼がどんなに私のことを大切に想ってくれているか、それが分かり過ぎるほどに分かってしまう、優しい優しい呼び方だったから。
だけど……
私は、なにも、今里さんと福島さんさんの関係を疑ったわけじゃない。
今里さんの気持ちが私にあることは、いつもひしひしと感じさせてもらっていたから。
でも、あまりにもお似合いの二人を見て、以前から燻っていた劣等感が刺激されてしまった。
”私より、あの人の方が彼に相応しいんじゃないか”
そんな、自虐的な考えが充満していた最中、今里さんがもたらした ”秘密” が、さらに私を追い詰めたのだ。
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