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それから私は毎週沢渡先生のアシスタントとして漫画制作に取り組んだ。
漫画喫茶なので必要以上に会話はしなかったけれど、ストーリーの方向性について話し合うこともあった。
現役高校生の意見は貴重らしい。忘れかけていた当時の感覚を思い出すようだと先生は笑っていた。
私は私で夢中で背景を描いた。
美術は得意分野だったので楽しかった。
「楽しそうに描くなー」
「楽しいよ。描くの好きだし、先生の役にもたってるしね」
私が笑うと先生は休憩がてら持ってきたコーヒーを啜って一息吐く。
「俺にも純粋に楽しさだけで漫画を描く時期があったんだよ。いつのまにか売れることばかりが優先されて、そんな気持ち忘れていたっけ」
声を落とす先生に私は声をかけようとして考える。
えっと、こういう時どんな言葉をかければいいんだろう?
私は辿々しくも先生に言ってみた。
「ほら、初心忘るべからずっていうでしょ? 最初の気持ちを忘れないでって。先生にとって漫画家を目指した最初の気持ちが今の先生を後押ししてくれると思うの」
本当の意味はもっと違う意味かもしれないけれど、解釈が多少異なっても本人が前向きになれればそれでいいと思ったから。
案の定先生は私の演説に笑ったけれど、「その通りだな」とうなずく。
「俺はさ、描いた俺も読む奴らもみんなで楽しむ作品を作りたいから漫画家目指してたんだ」
当たり前なことなのに、見失ってしまっていた。
一番大切なことの筈なのに。
「なんか今度は良い作品が描ける気がする。ありがとなトースト娘!」
「……トースト娘じゃなくて夏海っていう名前があるんだけど」
「今更な自己紹介だな」
「なんかお兄さん再デビューしちゃいそうな気がするから……」
「いつまでもここにお世話になってるわけにもいかんしな」
そうすると、ここにもあんまり来れなくなるんだよね。それは少し寂しいかな……。
涙が滲み泣き顔を見せないように俯く私の頭に先生はぽん、と手を置く。
顔は見えないけれど、先生の声は柔らかさを帯びていてきっと優しい表情をしているのだろう。
「お前はさ、くすぶっていた俺に動き出す原動力を思い出させてくれた立派な奴だ。そんな奴はもっと幸せにならなきゃいけない」
今度はお前が自分の居場所の為に一歩踏み出す番だ、夏海。
それが、沢渡先生と最後に話した会話だった。
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