四. 自分ではない自分

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  ***  現皇帝則碑(そくひ)に呼ばれていた。  皇宮に伺候するのは久しぶりであった。皇帝の執務の間に入ると、警備兵三人が(かしこ)まって秀英へと敬礼する。秀英は西教への半年間の左遷処分を受けたものの、身分としては彼らの上司のままだった。  則碑は室にいなかった。東に穿たれた大きな窓から入る朝陽を足元に浴びながら、秀英は則碑の執務机の前に佇み、来室を待った。  帰京して三日が経っている。帰京した日を含めれば四日目だ。今日からが正式な出仕で、朱雀へ戻ってから初めての皇帝への謁見であった。  昨日おとといと、秀英は皇城の端にある礼部省へと容蝶を伴った。容蝶がかけられた術の正体を探るために祓魔(ふつま)師と呪禁(じゅごん)師に会うためだった。  訪れた礼部省は国の祭祀機関で、神祇(じんぎ)道・陰陽(おんみょう)道・呪禁道・祓魔道を用いて自然の(ことわり)を読み、厄災を退避させることを職務としている。  秀英が「武術」を使って戦うならば、彼らは「気術」を用いて戦っているといえる。そんな彼らの力を借りて、容蝶に対して剏覇で行われた術を解明しなければならなかった。  剏覇での夜、「容月」がベータであることに疑いの余地はなかった。髪も肌の色も、染めたりしたものでなく生来のものだった。房事での秘所の濡れ方も違った。それほど徹底した変化術を強制的におこない、さらに彼らは秀英に抱かれぬと殺すと容蝶を脅迫したのだ。人道に(もと)る非道である。このまま放っておくわけにはいかなかった。  おとといの祓魔師との会談では術の正体は分からなかった。ただ、容蝶にかけられたのは強力な呪術に間違いないとのことだった。  紹介を受けて、昨日は呪禁博士の許に赴いた。  呪禁博士は国内に三人の稀有な存在で、呪禁師や祓魔師の師匠にあたる長老である。最強の呪術を使い、知らない呪文はないと言われている。  容蝶と秀英の前に現れた呪禁博士は蘇芳色の重厚な深衣を纏った老人で、()と名乗った。  腰まで垂らした髪と髭は雪のような白色で、既に第二性を表してはいなかったが、堂々と逞しいいでたちからアルファであることはおのずと分かった。  前日の祓魔師からあらかじめ話を聞いていたらしく、説明は必要ないとのことだった。緊張している容蝶の気持ちをほぐすように、誇は優しい口調で「心配するな」と説いた。それから容蝶に(くだん)の術をかけたのである。  秀英が呪術を見るのは初めてだった。  博士の口から呟くように呪文が唱えられ、皺がれたその掌からもうもうと白煙が立ちのぼって、容蝶を包み込んでいった。  そして霧が晴れるころ、剏覇で一夜を共にしたベータが秀英の前に現れたのである。 (――容月…!)  懐かしさに秀英の心は震えた。 「この者だな、高大将」  誇博士に問われ、秀英は頷いた。 「ああ――」 「いかにする」 「術が確認できたのならば、戻してくれてかまわない」  博士は呪文をすぐに解いた。それで容蝶は元の姿に戻ったが、心許ないまなざしを秀英へと送っていた。  術をかけられて怖かったのか。 それとも秀英の眸に映った感情を何かしら読みとって、思うところがあったのか。 自分は一体、どんな感情を目に宿していただろうかと、その時、容蝶を見つめ返しながら秀英は、妙な(さざなみ)を胸中に覚えていた。
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