四. 自分ではない自分

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「冗談はさておきだ…、分かっているだろうが、事はなかなか重大だぞ。彼にかけられた術はとんでもないものだ。第二性を換えるなどあってはならん」  その通りだと思い頷く秀英に、誇が水を向けてきた。 「昨日は彼がいた手前伝えるのをひかえたが、あれは禁断の術だ、高大将」 「でしょうな」  第二性の強制的な操作など聞いたことがない。反人道的な側面だけでなく、国家間の均衡にまで多大な影響を与える問題である。事実、来暁が強国なのは男性アルファの人数が他国と比べて相対的に多いからだった。当然、たやすく操作して良いものではない。 「第二性の変化(へんげ)術については、気になることを以前、聞いたことがある」  誇の口調は重々しく、深刻そのものだった。 「大人にかける変化術は数日…長くても三日ほどで自然と解ける。だが、それをずっとかけていられる方法があるのだ」 「…というと?」  秀英は問い返した。 「生まれてすぐの赤子にかければよい」  秀英の手がぴくりと震える。とんでもない話ではあるが、思い当たる節はあった。秀英の微かな表情の変化を確かめるように、則碑が続ける。 「高。西教からお前は賊徒の自白書を送ってくれたな。剏覇で売れる赤子は。繋がると思わないか?」  むろん繋がるのだろう。  強い確信が湧いた秀英は、注意深く口を開いた。 「国ぐるみですかな。それなら私が視察で覚えた違和感にも説明がつく。屈強なベータの兵士達は、もともとアルファの赤子だったのかもしれません」  それだけ大掛かりな陰謀ならば、太傅の馮が絡んでいるという話にも納得がいく。則碑が頷いた。 「万が一にもそうであるならば、何十年も前から剏覇はその奇術を用いて周到に国力を高めてきているのかもしれん。我々から、アルファとオメガの赤子をさらってな」 「許しておけませんな」  誇が相槌を打つ。則碑が深く頷いた。 「何のためだと思う?」  則碑の問いに秀英は手短かに答えた。 「南部が欲しいのかもしれません。特に、海に通じる塩の道が」 「いくさになる」  誇の呟きに、ふん、と則碑は尊大に笑う。 「やってみればよい。剏覇ごときが我が軍に勝てるはずがない。だろう、高」  官軍、地方軍、双方において来暁の軍隊は周辺国の群を抜く。だが剏覇の勢いには底知れぬものがある。油断は禁物だった。 「現段階では、おそらく。いかがなさるおつもりですか、陛下」 「奴らの悪行の実態を突きとめねばならん」 「ある種の(おとり)捜査の必要性を感じたことはあります」 「我が朝廷に裏切者がいると?」  則碑がひらりと眉をあげる。 「萄が良い例です」 「西教郡の知事だった男か」  秀英は頷き、続けた。 「黄容蝶が連れ去られたのは城外とはいえ、朱雀でした。剏覇の間諜が多数、この都に入り込んでいる可能性があります」  うむ…と、則碑が唸る。 「仮にだ、その囮に黄容蝶を使うのは、嫌か?」  その申し出に秀英は言葉を失くし、固まった。そんな己の反応に自分で驚いた。 「――珍しいな…」  秀英をしみじみと眺めた後で、どこかしら感心するような声を則碑があげる。 「己が囮になるなら、お前のことだ、私の提案を即座に承諾するだろう。なのにそんな顔をするとは…。そこまで惚れているのか、その黄容蝶とやらに」  則碑の口調にふざけた様子はない。  黄容蝶は、そのような役に向いていないのだと、言い訳ならばいくらでも出てくるはずだった。しかし理由はそうではない。  則碑の言う通りだった。ただただ容蝶が惜しく、危険な目に遭わせたくないのだ。  返す言葉を見つけられないまま秀英は茫然と立ち尽くす。いつにない自分に己自身で困惑していた。
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