五. 愛し人

2/9
974人が本棚に入れています
本棚に追加
/72ページ
 城内の皇城に近い場所に位置する高の(やしき)は広大かつ重厚で、まさに貴族御殿そのものだった。  壁、軒、屋根、回廊、欄干、窓に取り付けられた格子の一本に至るまで伝統技術の粋を凝らし、贅沢な装飾と色合いの施された豪奢な様相を呈している。  中庭の眺めも風情があった。  夜ともなれば石灯籠から零れる灯火が黒い池に反射して、よく手入れされた木々の眺めと相俟って容蝶の目を愉しませてくれる。  邸は主人と正室の住まう母屋を中心にして、東西の方向へと離れが延びていた。その離れすら、西教で高に与えられていた屋敷の母屋に引けをとらぬ豪奢さである。  もともとは複数の妻を娶る主人がそれぞれに側室を囲って子を育てさせるためのもので、離れには柱廊を通じて行き来できるようになっている。  もっとも、高の父の武延(ぶえん)は側室も後妻も娶っていない。妻亡きあと東西の離れを二人の息子たちに与え、愛娘は結婚するまで母屋に暮らさせていた。多忙極まりない武延自身は、邸に寝に戻るだけである。むしろ妻の死の悲しみを紛らわせるために仕事に埋没しているようだと、息子である高は分析していた。  そんな武延に容蝶が目通り叶ったのは、正月、春節の挨拶でだった。緋色の髪に混じる白髪にすら威厳が漂う、堂々たる風格の男だ。高と同じく大柄な体格だった。  春節の折、武延も高も宮中行事に忙しいようで、その時もすぐに宮廷に戻らねばならないと、容蝶とゆっくり会話できないことを武延はたいそう悔しがってくれた。  そんな短い時間であったが、緊張に卒倒しそうな容蝶の杞憂とは裏腹に、武延は「よく来た」と相好を崩して容蝶を歓迎してくれた。楓容も優しい腕で抱いて、健やかに育つようにと祝福の言葉をかけてくれた。  武延にとっては大事な息子を騙して身籠った自分なのに…と、容蝶はその寛大なあたたかさが心に沁み、知らず目が潤んだ。  その春節の挨拶の場には、高の姉と弟もいた。  高の一つ違いの姉である才華(さいか)はオメガで、七歳の息子と三歳になる娘がいる。  弟の秀良(しゅうりょう)は十六歳で、士官学校に籍を置くアルファだ。高とは十五歳違いであり、難産で秀良を出産した産後の肥立ちが悪くて母は亡くなったと、容蝶は高から聞いていた。  母の顔を知らない悲しみを胸の奥にかかえているだろうに、秀良は天真爛漫な少年で、彼を育てた武延や高、才華の優しい人柄までが垣間見えるようだ。  武延もそうだが、才華も秀良も、高の子を産んだだけで正式な妻になってもいない容蝶に、自然に、親切に接してくれる。容蝶にとってはありがたいことだが、一方で頑なな自分のはっきりしない態度を申し訳なく感じたりもする。  自分のような特殊能力を持つ者は人間不信に陥りやすいのかもしれないと思う。心中で考えていることと言動とが伴わない人間のあまりに多いことに、精神的に参ってしまうのだ。自然、人と距離を置きたくなる。  ある意味、恋愛において高に対して似たような不信感を抱いているのは確かかもしれない。だが、それ以外の感情において、この家族には心と言行に不一致がない。ここに住まわせてもらうにあたって、それは大きな救いだと容蝶は感じていた。  不意に、隣室で明るい哄笑が弾けた。  かたことと、蓮華寺への寄進布を一心に織っていた容蝶は、手を止めて聞き耳を立てた。  秀良の覇気のある声が聞こえてくる。小正月の今日は学校も休みで、西の対から遊びに来たのだろう。  楓容の甲高い歓声が続いた。近頃の楓容は活発に動き、高や秀良といったアルファの男性に遊んでもらうといい刺激になるのか、上機嫌になる。嬉しそうな楓容の声に、自然と容蝶の口許も綻んだ。
/72ページ

最初のコメントを投稿しよう!