五. 愛し人

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 庭の風情を愉しむのと採光のために互いに少しずつ窓を開けているので、隣室の明るい会話がよく伝わってくる。窓からは真冬の凜とした空気も入ってくるが、一方で部屋の奥に焚かれた炉には火がしっかりと熾されていて暖かいのだ。  続きを織ろうと杼を手にした時だった。 「容蝶、いい?」  出入り口の扉の摩り硝子越しに才華のほっそりした姿が映った。 「はい」  容蝶は織機から離れて扉を開けた。 「お忙しいのに、ごめんなさいね」  下女を従えた才華が玉のような笑顔を浮かべて立っている。こどもたちはまだ楓容と遊んでいるのか、一緒ではなかった。  才華は容蝶よりも頭半分ほど背が低かった。つややかな黒髪を後頭部で花弁のような形に結いあげてから背中に垂らし、女性の胸元が綺麗に映える襦裙姿だ。白い玉の髪飾りが桃色の服によく似合っていた。 「あなたたちはいいわ」  人払いした才華を容蝶は怪訝に感じたが、ともかくもと中へいざなって卓子に案内し、向かい合って腰かけた。 「楓容の相手をしてくださってありがとうございます、才華殿」 「いいのよ。麗鈴も弟ができたみたいで悦んでいるの」  麗鈴とは才華の娘である。  才華もまた小正月の祝いにと三つになる愛娘を連れて遊びに来ていて、楓容の子守り役の寧たちと共にあやしてくれていたところなのだ。そこに秀良が加わったという形だった。 「お寺への寄進の布は進んでいる?」 「はい。おかげさまで」 「次は私のよ。もうしっかりと予約をとりつけてあるのですからね、いくら秀英に土下座して頼まれたって、私のより先に作ってはだめよ?」  わざとおどけた言い方をする。明朗闊達な才華は感情が顔から読み取りやすく、ころころとよく笑うので容蝶は一緒にいて楽しかった。  こちらがくすぐったくなるほどの人懐こさに面映ゆくなりながらも、容蝶は笑って了承した。親切心はこの姉弟共通の特徴らしい。  彼女は容蝶の製作品を気に入ってくれていて、目下、牡丹柄の絹布を織ってくれと頼まれている。加えて友人の貴婦人たちにもそれとなく売り込んでくれているらしい。  眸の色から、才華がおだてや義理で容蝶を売り込もうとしているのではなく純粋に作品に感心してくれてのことだと分かるので、容蝶は恐縮しつつも感謝してその温情を受けることにした。 「夕方になったら天灯に行きましょう。秀英からお母さまを亡くしたばかりだと窺ったのよ、いいご供養になるわ」  思いがけぬ誘いを受けた。容蝶は強く惹かれたが、返事を濁した。 「邸を出るなと高殿から言われているんです。俺はまだ、身の危険を払いきれていないので…」 「そのことなんだけど、容蝶――」  才華が声を落とした。この部屋にはほかに人もいないというのに。  何か重大なことを告げられるのだと容蝶は覚悟した。
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