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どうすれば
神様、お願い!
俺は馬券を握りしめながらコースを走る馬にでもなく、その騎手にでもなく、神に祈りを捧げる。寒い秋風が吹く中、俺はコートを一人手繰り寄せ周囲との壁を作る。
周囲の熱気はすさまじく、俺の思いまでそちらに引っ張られてしまいそうだった。俺はそうならないように心の中と外に壁を作り、秘める。
「いけえええええ!」
「そこだ!抜かせえええ!」
「いけ!いけ!いけよおおおおお!!!!」
応援ともヤジとも分からぬ男たちの叫び声、俺はその様子を聞き続ける。馬がコーナーを曲がり、最終コーナーへ。馬たちがゴールに向かうにつれて周囲の熱狂もより大きく、より過激になっていく。
俺はただひたすら祈り続ける。単勝⑥。俺が持っている馬券はこれだけ。そう、たったこれだけ。そして俺が祈っているのもたったそれだけ。
俺にとってその馬が人生であり、希望であり、夢である。彼女はこの戦いで勝たなければ成績不振を理由に処分され、馬肉として出荷されてしまう。そんなことは認められない。彼女はとても頑張った。走るのがそこまで好きでもないのに、俺達が走る為の馬にしようと勝手に鞍を付け、鞭を打ち、走らせる。
彼女はそれが辛かったのだろう。優しく、大人しかった彼女にとって、その鞍は手錠に見えたことだろう。騎手が使う鞭は警棒に見えたことだろう。それでも、彼女は頑張った。何日も何日も大変な特訓を耐えて、耐えて、やっと競馬の馬として名乗りを上げることが出来た。
しかし、現実甘くはなかった。競馬の馬になれたとしてもそこで終了ではないのだ。むしろこれからが本番といっても過言ではない。それなのに、彼女は既に99敗。勝利が必要なこの世界で、彼女は99連続負け続けた。そして今回もし負ければ、彼女は処理されることになっていた。
最近は負け続ける馬として少しだけ人気が出てきてしまっていたが、それで有名になって欲しいなんて思わない。そんな辱めを受けるような名前を名乗ってまで、生き続けることが彼女の為になるとは思わないから。
でも、それでも、ほんの少しは思うのだ。勝ち負けなんて俺達人間が勝手に決めた勝負で、勝手に決めたルールの中で走らせているから何じゃないかって。彼女がもっと自由だったのならば、自由に走ることが出来ていたのならば。そう思わずにはいられない。
「決まったあああああ!!!!!優勝は!!!!」
そうして勝負が決まる。俺は恐ろしく、目を瞑っていて順位を確認出来ない。それでも、俺の耳には相反した思いとは裏腹に入って来る。
「④番サイレントフェザーだあああ!!」
「やったあああああ!」
「くそっ!」
「あの駄馬が!」
「幾ら掛けたと思ってやがる!」
歓声は1割もいないだろう。そして文句を言う声は俺の耳にも良く聞こえる。馬たちだって頑張ったハズなのに、一頭一頭が全力で走り、騎手も全神経を集中させていたはずだ。それなのに脚光を浴びる事が出来るのはたった一人とたった一頭だけ。その他大勢の馬たちは敗北者としての烙印を押され、舞台裏に消えていくしかない。
それでも、俺は祈りたかった。神様、お願い。彼女が消えないで欲しいと、何とか助けてくれないかと。
俺は彼女との思い出が走馬灯の様に頭の中でぐるぐると回っていた。訓練で厳しくて悲しい声を上げていた時に、俺は彼女と一晩一緒に寝た。藁はちょっとちくちくして痛かったけど、彼女と並んで寝た温かさは今でも忘れていない。俺が上司に怒られて凹んでいた時も彼女は俺の側にいてくれた。楽しい時も辛い時も俺達はずっといた。彼女が競馬として連れていかれるまでは。
俺はその日、彼女に会うことはできずに一人そっと帰った。そして、彼女に何と言って顔向けをすればいいのか、一人考え続ける。鏡に映る自分は酷い顔をしている。手入れがされていない無精ひげ、髪には白髪が入交り10歳は老けたようだ。目も落ち窪み、病人と言われても納得してしまう。
そんな考えから目を背けるようにテレビを付け、思考を変えようとする。それからは、彼女に世間の焦点が当てられたことを知る。負け続ける馬。しかしその感じとは裏腹に、彼女の優しさや、懐きやすさなどがテレビを通じて世間に拡がると、もっと彼女にチャンスを、もっと彼女にレースを。そんな声が大きくなる。
俺は喜んだ。これできっと彼が処分されることはない。きっと大丈夫、だから彼女に会いに行こうって。一歩だけ踏み出した所で、はたと思う。
俺が行ってもいいんだろうか。昔、俺は彼女の世話をした。いっぱいした。最も仲が良かったと言ってもいい。彼女は俺が世話をした最初の馬だったから、やはり、人一倍想いも深い。
そんな俺が、既に終わってしまった彼女に会いに行っていいのか。忘れられていないか、嫌われてしまっていないか。気になりだしたら止まらなくなる。
それでも、俺は彼女に会いたい。そう思って足を踏み出す。だけど、その前進は正しいのか、一歩踏み出すごとにその足は重たくなっていき、踏み出す速度は遅くなっていく。
そして、公園のベンチを見た時、少し休もうと思い座ってしまった。
それから1時間、俺は一向に立ち上がれずにいる。
体を冷たい風が撫でていく。しかし、俺はそんなことには一切気にせず、ただ吹かれるままに。
そこへ、一人のみすぼらしい格好をした老人が通りかかった。相手は俺の前で止まり暫く考えている。俺は意識を彼女に戻す。
俺はずっと彼女のことを考えていたが、目の前の老人にはそんなことは関係ないらしかった。
「なぁ、あんちゃん。座ってんなら暇だろ?話し相手になってやるからタバコくれよ」
「・・・」
「なぁ、あんちゃんって!」
「あ?なんだ?」
耳元で話しかけられて俺は慌てて目の前にいる老人に気付いた。
「話聞いてなかったのかよ」
「考え事をしてまして」
「そうかそうか。それなら俺っちが話し相手になってやるからよ。ちょっと金くれよ」
「え?いえ、そういうのはいいです」
ぼーっとしていたとはいえ、何なんだこいつは。近づかれるまで気付かなかったが、匂いも結構きついし、正直寄らないで欲しい。
「そう固いこと言うなよ。これでも長いこと生きてる。少しくらいはいいことが起きるかもしれねえぞ」
「いえ、そう言うのはいいんで」
俺は立って違う場所に向かって歩く。彼女の所に行くかは分からないが、少なくともこの老人からは離れた方がいい。それだけは間違いない事実だろう。
俺がそこから離れると、老人は忌々しそうな目をして見つめてくるだけだった。
老人を尻目に歩き出す。そうして気が付くと、俺は違う公園のベンチに再び座っていた。邪魔な老人はいたが、それでも彼女への思いは変わることはなく、安心と心配が膨れ上がっていく。
なぜあんなにも彼女の事が気になるのか、自分でも分からない。これから何回も相手をする内の一頭だろうに、思いを込めすぎるなとも上司から言われた。それでも、俺は彼女ともっと一緒に。
「逃げるこたぁねえだろ、あんちゃん」
「うわ!」
「うわって何だうわって。同業者みてえな格好してるじゃねえか」
「俺は・・・そんなんじゃない」
「あ?そんだけボロボロでまだ仕事があるってか?嘘だろ?俺がお前の上司だったら即刻止めさせてるぜ?」
「煩い・・・俺にだって・・・事情はある」
「そうかい、だったら別にいいよ。それで、何に悩んでるんだ?」
老人は気さくに言いながら俺の隣に腰を降ろした。
「お前には関係ない」
「そんなこと言いながら逃げねえな?さっきは逃げたのに。誰でもいいから聞いて欲しいってことなんだよ。ほら。言ってみろ」
「・・・」
俺はその言葉を否定出来なかった。心のどこかで本当に聞いて欲しいと思っていたのかもしれない。例えこんな浮浪者相手でも。
「ずっと世話を焼いていた相手がいるんです。それで、仲が良くなって、一番仲がいいとその時は思っていました。だけど、それがずっとは続かなかったんです。彼女は立派に成長して俺では触れられない所に行ってしまった。その彼女が、もう、二度と会えないことになるかもしれなかったんです」
「そりゃ、難儀だな。二度と会えないってのは辛いもんだろ」
「そうなんです。それで、二度と会えなくなるかもといった時に奇跡が起きて、彼女は助かったんです」
「凄いじゃねえか。喜びに行ってやれよ」
「でも、何だか今まで行かなかった事を後ろめたくて、何で来なかったんだって、言われたり、忘れられてないかが怖くて・・・」
俺は気が付くと全てを話していた。仲の良かった友人にすら話していない事。逆に老人だから、見ず知らずの人だからこそ話せなかったと言ってもいいかもしれない。
老人はずっと悩んでいるようだった。さっきまではすぐに言葉を返してくれたのに、下を向いて何かを考えている。
そして何かを決めたのか俺の方を向く。
「・・・俺はな。似たような状況に陥ったことがある。そして、その時にお前と同じように考え、悩み、行かなかった」
「その後・・・どうなったんですか」
「相手は帰ってこなかった。そいつは、彼女は俺のことを持ってくれていたんだって。全てが終わってから聞いたよ。それからもう、全てが終わったように感じてな。今ではこの様よ」
「・・・それは」
「行け。お前は昔の俺みたいだ。言って後悔することなんて何もない」
「でも忘れられてたり嫌われていたら」
「お前が傷つくだけで済む。相手の事を大事に思ってるんだろう?ならそれくらいいいじゃねえか。お前の自分可愛さで、相手は取り返しのつかない状況になっちまってるかもしれねえ。それくらいなら、少し傷つくくらいいいじゃねえか。だろ?」
「・・・行ってきます」
「おう、行ってこい。ただな」
「ただ?」
「少しくらいは恵んでくれよ」
老人はそう言って俺に手を差し出した。
俺は財布から人間の平等を説いた人を渡し、走り出した。仕事で体は使っていた。最近は余り使えていなかったが、それでも今なら俺は走れる気がした。
俺は走り、走り、息が上がっても走り続ける。それが俺の出来る全力だから。少しでも彼女に会うために全力をみせねば。
本当であればそんなことをする必要はない。たった数分早くなった所で彼女の感情は変わらないだろう。それでも、それでも、俺は全力で彼女を迎えに行きたかったのだ。良かったね。おめでとうと、独りよがりと言われても、お前の練習が悪かったからと言われてもそれでも、俺は彼女の為に自分が出来ることをやり切りたいのだ。
見慣れた景色が見えてくる。彼女がこっちに来てしまってから何度も足を運んできた場所。そして、この先に、俺が越えられなかった壁がある。すでに卒業してしまったのだからと、終わったから来るんじゃない。そう言われて追い返された。だけど、今日こそは。俺は彼女と会いうんだ!
少し進むと関係者以外立ち入り禁止と書かれた柵が立っている。俺はそれを飛び越えた。
そして走る。彼女に会うために。彼女と少しでも話すために。
「ヒヒーン!」
彼女の声だ!俺は彼女の声に導かれるままにそちらの方に走り出す。
周囲には手綱で繋がれた馬がいたり、手綱を人に引かれた馬が歩いている。その中をかき分けて俺は走る。
「ヒヒーン!!」
さっきよりも大きな声が聞こえる。俺は、それに言葉を返さなければならないと思った。
「アキ!」
「ヒヒーン!!!」
彼女の声が喜色を帯びるのが分かった。それだけで俺は満足だ。それだけでもう、彼女が俺のことを嫌っていない。それが分かるのだ。だけど、俺だけが満足していたらいけない。もっとちゃんと会ってちゃんと話さないと。
走っていると彼女が見えてきた。彼女、そう、彼女だ。遠くからでも、スタジアムの上から見ても見間違えないのだから、この距離から間違えるハズなどない。俺は彼女の元に走り寄る。
「お前何しに来た!ここには立ち入り禁止だと言っただろうが!」
そんな俺と彼女の前に立ちはだかるのは、彼女のオーナーだ。俺が彼女と一緒にいるのを気味悪がって離れ離れにさせた張本人。奴は彼女の手綱を握り、彼女がどこかに行くのを押さえている。
だけど、俺と彼女の前にそんな奴は関係ない。
「アキ!」
「ヒヒィーン!」
「おい!暴れるな!ぐはっ!」
彼女が邪魔をしようとしたオーナーを突き飛ばす。優しい彼女らしく頭で小突いて倒す程度で済ませていた。そして彼女は俺に向かって走って来る。
「アキ!」
「ヒヒーン!」
俺は彼女の頭を抱きしめる。彼女は頭を俺に擦り付けるようにして来るし、舌で顔がべたべたにされるまで舐め回された。
「アキ!久しぶりだな・・・。こんなに立派になって」
「ヒヒーン!」
それから俺と彼女は暫くの間懐かしさを確かめ合った。彼女は少しやつれていたように感じる。
それから少しして、眩しさを感じたのでそちらの方を見ると、多くのカメラが俺と彼女の抱擁を写真に収めていた。
「ちょっと!取らないでください!」
俺の声はそこにいる誰にも届くことはなく、彼らのフラッシュは焚かれ続ける。
俺はそんな彼らに嫌な気持ちになるが、彼女は全く気にしていなかった。それどころか。彼らに見せつけるようにすり寄ってくる。
「アキ・・・」
「ブルルルル」
彼女は小さく鳴いて、返事をして来る。
俺は彼女を守ると誓った。
Fin
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