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泣きたくて逃げたくてへとへとに疲れ果てているのに、さらに拍車をかけるこの不運はなに?
もう本当に涙が滲んできた。急いでハンカチを出して拭き始めると、バタンと車のドアが閉まった音がした。
「ご、ごめん。悪かった! 大丈夫ですか」
あの黒い日産車の男が律儀に車を停めて、運転席から出てきてしまった。しかもこちらに走ってくる。
「だ、大丈夫です」
いや、関わりたくない。しかも涙目の顔なんて誰にも見られたくない。でも、作業着姿の煙草の匂いが染みこんでいそうな男がもう目の前に来ていた。
「しまった。いつもそこに水溜まりができること忘れていた」
黒髪をかきあげ、困惑する彼と目が合う。だがそれを合図のようにして琴子は走り出していた。
「おい、待ってくれよ! せめてクリーニング代……」
振り切るようにして自宅への道を走り抜く――。そこの角を曲がれば、我が家がある住宅地、そこまで走り抜ける。
近所の家が軒を並べている小道まで来て、琴子はやっと振り返る。そこにはもう、いつも通りの静かで暗い我が家への道があるだけでなにもなかった。
「ただいま」
憔悴しきって玄関を開けると、すぐに灯りがついた。
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