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 雪乃進は夢を見ていた。幸せな夢に違いない。あれほど会いたいと焦がれた美珠がいるのだから。夢の中で、雪乃進は床に座した美珠の腰に縋りついていた。そんな雪乃進の頭部を、美珠は優しく撫でる。 「わらわの愛しい雪乃進、なぜ泣いておるのだ」  凛とした、それでいて思いやり溢れる声音が鼓膜を打ち、雪乃進は全身を震わせた。歓喜に叫び出しそうだった。けれども雪乃進は頭を低くうずめたまま、不機嫌に一言だけ返した。 「美珠さまがわたしを置いていかれたからですよ」 「寂しかったか」 「当たり前でしょう」  あまりに他人事のように美珠が聞くので、雪乃進は怒って顔を上げた。思いがけず近い位置で、美珠の麗しいご尊顔と対面してしまった。神が発する光は、常人の目をつぶす。神使いである雪乃進はいくらか平気だが、それでも眩しくて直視できなかった。しかし見なければならない。心の底では悟っているのだ。いまを逃せば、またしばらくは美珠の顔を見られないのだと。ほら、美珠の輪郭はいまにも消えそうに薄くなっている。雪乃進は決して離すまいと、美珠の細い腰に腕を絡めた。そして、吼えるように訴える。 「美珠神様、どうかお願いです。わたしを共に連れていってください。もう独りは耐えられないのです」 「わらわの愛しい雪乃進、わらわはどこへも行かぬ。いつも、いつでも、側におるのだ」 「嘘だ! あなたはどこにもいやしない! いくら呼びかけても、答えてくれぬではないか……」言葉尻は、涙声にすぼんで消えた。  さめざめと泣く雪乃進の頬に、美珠はそっと指先を振れた。瞳に映った寂しさは、けれど雪乃進が顔を上げたときには慈愛に変えていた。そして突き放すように問う。 「ゆき、そなたはいま、たしかに独りか?」  はっと、雪乃進は思い出した。  椿──。助けがなければ生きられない、幼い子。愛しい我が子。  美珠はそっと、雪乃進の額に口づけをした。頬を流れ落ちた美珠の涙に、雪乃進は気づかない。ただ恋しい温もりを、その瞬間に噛みしめていた。 「今年の神酒もうまかった。来年も作っておくれ……わらわの、ために──」  美珠の声が遠くなる。腕の中から姿形が完全に消え去り──次の瞬間、雪乃進は目を覚ましていた。ぼんやりと天井の木目を見やる。いまのは都合のいい夢だったのか。  音が戻り、騒々しい泣き声に雪乃進は驚いた。いつかのように魂を引きしぼらんばかりに激しく泣きわめく、それは椿の声だった。 「雪ちゃん、死んじゃやだよぉ! 椿をひとりにしないでぇ! いい子にするからぁ! もう悪さしないって約束するよぉ! 雪ちゃぁぁぁ」  ああ、この子は。雪乃進は腕を伸ばし、椿の小さな体を抱き寄せた。四肢は頼りないほどにか細く、少し力を込めただけで折れてしまいそうだった。雪乃進は思った。あの日、あの雪の降る日、自分がこの子を拾ったのは、母親に捨てられたこの子が美珠に置き去りにされた自分と重なったからだ。力の限り叫ぶ泣き声が、自分の心の様を代弁していたからだ。自分を、放っておけなかったのだ。救えば、自分も救われるような気がしたのだ。 「ふぇ、雪ちゃ?」  椿を抱きしめ、雪乃進は魂をふりしぼって泣いていた。はじめ驚いていた椿だが、やがて雪乃進の頭を優しく撫でだした。その様子を見守っていた野寺坊が苦笑する。 「これではどちらが赤子かわからんな」  まったくだ、と言うようにカラスがひとつ鳴いた。
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