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31『黒電話の怪異・4』
やくもあやかし物語・31
『黒電話の怪異・4』
南に走ったつもりだった。
真岡の街は西に向けて傾斜しているので、東西に方向を間違えれば平衡感覚で分かる。
しかし、南北には高低差が無いので、銃撃や艦砲射撃が続く中、何度も転んでしまって分からなくなる。平穏な時であれば右手に海、左手に山を捉えていれば間違えようは無いけど、身を低くして頭を抱えて足もとしか見えていないうちに混乱してしまった。
何度目かに転んだ目の前に真岡電信局が見えた。
ここだ!
近くには国民服の人とお巡りさんがねじくれて転がっている。
ピュピュピューーーン! ピュピュピューーーン!
二人を地面に縫い付けるようにして機銃弾が走る。子どもが寝転がったまま駄々をこねるように跳ねる。
ピュピュピューーーン! ピュピュピューーーン!
まだ生きていると思ったのか、執拗に機銃弾が走る。
国民服とお巡りさんは、人であったことが分からないくらいにボロボロになってしまった。
ボト
どちらのか分からない手首が落ちてきて、弾かれるように後ずさって電信局のドアにぶつかって転がり込んでしまった。
疲労と建物の中だという安堵感で目が開けられない。
荒い息をするうちにアーモンドの匂いがしてきた。
目を開けると、目の前に横たわった女の人の顔……くしゃみをする寸前のように弛緩した口元から、いっそう強いアーモンド臭。
青酸カリを飲んだんだ……小説や探偵アニメで覚えた症状だ。嗅いでいては、こちらまでやられる。
身を起こすと、床に転がったり交換台に俯せるように息絶えた女の人たちが目に入った。ネットで調べた通りの九人……いや、もう一人いる。
交換台の下、膝を抱えて目を見開きっぱなしのセーラーモンペ。
「……芳子ちゃんね?」
「…………」
「小泉芳子ちゃんでしょ?」
「……だれ?」
「やくも、小泉やくもだよ」
声を掛けながらも、ダメだろうという気持ちだった。芳子ちゃんは洋子お姉ちゃんを迎えに来て、九人の自決に出くわしてしまったんだ。たぶん、芳子ちゃんがうずくまっている交換台に突っ伏している女の人。だらりと下がった左腕で息絶えていることは間違いない。最後までお姉ちゃんの手を握って命を呼び戻そうとしてるうちに砲撃や銃撃がひどくなって動けなくなったんだ。その目には絶望の色が滲んでいる。
こんな子を励まして逃げる自信は無い。
「小泉やくも……やくもちゃん?」
面食らった、急に思い至ったかのように芳子ちゃんの目に光が戻ってきた。
「やくもちゃん! やくもちゃんなんだ!」
交換台の下から這い出てきて、芳子ちゃんはわたしの手をしっかりと握った。
これなら言える! 逃げようって言える!
「もう少し、もう少し早かったら、洋子お姉ちゃんも……」
姉の事を残念がってはいるが、生きて行こうという気持ちは次第に強くなってきている。
しかし、問題は逃げ場所が無いということだ。
電信局は占領したあとに使うつもりか、銃砲撃が控えられているようだ。
しかし、このまま留まっていてはソ連軍にどんな目にあわされるか分かったもんじゃない。外は激しい攻撃にさらされている。
プルルル プルルル
空いている交換台のベルが鳴る。交換台には百以上のランプがあって、そのうちの一つが点滅してベルが鳴っているのだ。
交換台のレシーバーをとって、ジャックを点滅しているところに差し込んだ。公衆電話だってまともにかけられないわたしだけど、これは自然にできた。
「もしもし」
――交換室の後ろのドアから出て――
あの声が、それだけ言って切れた。
「芳子ちゃん、後ろのドアだ!」
芳子ちゃんの手を取ると、目についた後ろのドアに向かった。ドアは左右に二つあり、一瞬どちらだろうと思う。右側のドアが開いたので、二人して飛び込んだ!
入ると同時にグニャリと空間が歪んで、前方のねじくれたブラックホールのようなところに引っ張られていく!
ヤバイ気持ちと助かるという気持ちが半々、吸い込まれながら芳子ちゃんの手の感触が希薄になっていく……。
芳子ちゃん……!
声を振り絞ったところで、ドサリと体が落ちる。
落ちたところが自分のベッドだと分かるのにしばらくかかった……。
☆ 主な登場人物
やくも 一丁目に越してきた三丁目の学校に通う中学二年生
お母さん やくもとは血の繋がりは無い
お爺ちゃん やくもともお母さんとも血の繋がりは無い 昭介
お婆ちゃん やくもともお母さんとも血の繋がりは無い
杉野君 図書委員仲間 やくものことが好き
小桜さん 図書委員仲間 杉野君の気持ちを知っている
霊田先生 図書部長の先生
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