オプティミズム

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 高値で売られると言う事は、予測できていた。  魔女と言うのは人間に比べると非常に希少な種族である。魔女に遭遇しないまま一生を終える人間の方が圧倒的に多く、彼らにとっては、魔女というのはほとんどおとぎ話の住人であるらしい。魔女は災厄を運ぶ存在だと信じている人間や、魔法が使えると本気で信じている人間もいるくらいである。実際はそうした力など無いのだが、人間とは違う事だけは確かだった。魔女には人間にはいない黒の瞳を持っていたし、髪も艶やかな黒色である。何より人間よりもずっと、長生きをする。  対して人間は、希少な生物だというだけで愛らしさの欠片も無い獰猛な肉食獣を高値で売買するような、悪趣味としか言いようがない生物である。そんな人々が、若く美しい女性の格好をしている珍獣——魔女を見て、目の色を変えないはずが無い。  そうした話は十分に大伯母から聞かされていた。悪い人間に捕まると、売り飛ばされて死ぬまで檻に入れられる。そんなことは十分に分かってはいたはずなのだが、十分に心得てはいなかったらしい。ソフィアは暮らしていた小さな村からうっかり大きな街に出向き、あっさり人間に捕まった。    ——が、実際に付けられた値段は、ソフィアの予想をはるかに超えていた。   「五千!?」    ソフィアが叫ぶと、男はうるさそうに眉根を寄せた。  彼は商談中なのだ。一生どころかニ生でも三生でも遊んで暮らせる金が手に入るか否かの、大事な商談である。そんな中、商品が叫ぶなと言いたいのだろう。が、商品である私からしても、五千と言うのはふっかけすぎだった。自分があまり安値で取引されても傷つくが、あまりに高いのも怖すぎる。知らない間に人間社会の中で金銭の価値が暴落したというのなら話は別だが、そんな値段で買い手が付くはずが無い。  そう思っていたのだが、目の前に立っていた若い男はあっさり頷いた。   「買おう」 「はあ!?」 「まいど、有難うございます」    私の叫びは無視して、商談が進んでいく。何せ、法外な値段をふっかけられた買い手の方が、全く注文をつけないのだ。売り手が言う謳い文句に、興味なさそうに頷いているだけである。   「魔女はすぐに売り切れてしまうから」  「ふうん」 「こんなに綺麗な魔女は珍しいですよ」  「ふうん」 「彼女はまだ人間に慣れてない生娘で」  「ふうん」 「なんたって若くて新鮮。活きも良い」  「ふうん」    始終、こんな調子である。この男、頭は大丈夫だろうか。  改めて顔を見上げると、落ち着いた青の瞳と目が合った。太陽に透かした水面のような、薄い青色。感情のうつらない瞳に見つめられて、気まずくなったわたしが慌てて目をそらそうとすると、彼は一度、瞬きをしてから自然に視線を外した。そんな動作も、綺麗な弧を描く理知的な眉も、引き締められた口元も、いたって正気に見える。ならば、彼にとっては五千という一般市民にとって法外な値段は、駆け引きするまでもないほどのはした金なのだろうか。    そんな疑問はすぐに解決した。  数時間後、晴れて彼の所有物になり下がった私は、ぽかんと大口を開けて城を見上げることになる。どこの王様が住んでいるのだと思わせる、白くて立派なお城。ダンスパーティでも開けそうな広いテラスや、おとぎ話であれば囚われの姫が存在しそうな高い尖塔。首が痛くなって顔を戻すと、開け放たれた門扉の向こうに多くの人間が控えていた。立派な服を着た人間たちが、私を買った男に向かって一斉に腰を折る。  私は気圧されたように重心を後ろに逃がした。   「王子様なの?」    彼は振り返らないまま笑った。男が歩き出すと、両手首を前で縛られたままの私は、使用人によって罪人のように引っ張られる。この城の使用人たちは礼をした格好のまま、じっと私達が過ぎるのを待っていた。彼らの好奇の視線を浴びない事は、私にとってはとてもありがたかったが、誰かが私を助け出してくれるのではという淡い期待は消えた。   「まさか。単なる一市民だ」    単なる一市民がどんな悪事を働けば、こんな立派な城に住めるというのだろう。  思わず口を開きかけたが、考え直して言葉を飲み込んだ。ここにいる限り、何といっても彼は私の飼い主なのだ。逃げる手段が無く、彼に逆らう手段が無い以上、彼を怒らせるような言動を慎むに越したことはない。    何と言っても、五千なんて大金で買われたのだ。魔女を囲いたい——彼らの欲望を満足させる相手としてか——という権力者は多いと聞くが、自分の値段を考えれば、そのレベルで済むのか非常に疑問である。もしかしたら彼は、魔女の体を調べるために解剖しようだとか、魔女を手に入れて不老不死を手にしたいだとか、本気で魔術を信じていて世界制服をしたいだとか、そんなよからぬ事を考えているのでは無いだろうか。  考えるだけで、気分が悪くなってくる。  人間は野蛮な生き物である。生きたまま解剖されてはたまらない。    そう考えながらも、意外にも冷静な自分に驚いていた。  人間に捕らえられて、狭い檻に入れられて、馬車で何日も遠くまで運ばれて、きっと疲れてしまったのだろう。殺されるのでは、という最悪な想像をして震えていたのは最初の二日ほどで、あとは正直、野となれ山となれという気分である。檻の中で一人、震えて泣いて、疲れて眠って起きた時にはどこか吹っ切れていた。その後、物好きな金持ちに売られると聞いたときには、油断させられれば逃げられる機会はあるだろうと楽観的に思ったくらいなのだ。  いろいろと聞かされてはいるが、いままで会った人間に、それほど悪い人はいなかったというのが一番であり、捕らえられるまでの年月でひどい仕打ちを受けたこともない。実際に売られた相手もそれほど悪い人には見えない——白馬に乗っていれば王子さまにでも見えるだろう——というのが、正直な本心である。人間も魔女も動物も、本質的にはそう変わらないはずだ。そんなにひどいことはできないだろう。    そんな楽観気分も、彼の部屋に連れて行かれるまでだった。    部屋に入るなり、使用人たちは私の手枷を外し、おもむろにロープのようなもので私の首を絞め始めた。驚いた私は自由になった両手で彼らの腕を払いのけようとするが、複数でおさえつけられては勝ち目がない。もがけばもがくほど、首がしまっていく。力を振り絞るようにして、言葉にもならない悲鳴を発した。 「うるさいな」  男の声に、視線を彼に向ける。私を買ったその男は、軽く眉根を寄せていたが、それだけの表情だった。道を歩いていて犬に吠えられただけ、そんな表情。いったいどういうつもりなのか、そう叫ぼうと思ったとき、使用人たちが離れていたことに気づいた。代わりに残ったのは、首の周りの違和感。 「……なにこれ?」  首に手をやると、革のベルトのようなものがはめられている。後ろの部分に金属の感触がしたので、掴んで目の前に持ってくると、輪っかのある金属の鎖である。振り返ると、それの根元は柱にくくられている。試しに引っ張ってみたが、当然ながら外れるはずもない。   「逃げられないように繋いだだけだ。一応は魔女だからな。いきなり消えられたら困る」 「そんなこと出来るわけないじゃない!」    私はそう叫んでから、ふと、心配になった。彼は本気で魔術と言うものを信じているのだろうか。彼は本気で魔術を信じていて、それを見せろだとか、錬金しろだとか、誰かを暗殺しろだとか、そういう用途で私を買ったのだろうか。 「空も飛べないのか?」 「……羽が無いのは見て分からない?」 「羽で飛べるのは鳥か昆虫だけだ。魔女は魔術で飛ぶのだろう」  真面目な顔で言って、彼は私に一歩近づいてきた。私は一歩、後ろに下がる。彼は更に近づいてきたが、私に残された柱までの距離は、あと一歩だけだった。その一歩をつかいきり、壁に背を当てる。彼は手を振っただけで、使用人たちを下がらせた。  部屋にいるのが彼と二人だけになって、一気に鼓動が高くなった。息をするのが苦しいくらいだが、それは不安によるものか、首をベルトで絞められているからか、わからなかった。彼は何のために、五千なんて大金をはたいて私を買ったのか。声が震えそうになるのをおさえて、彼を見上げる。 「飛べないってわかったら、わたしを帰してくれたりする?」 「飛べない魔女には用はない。——そう言いたいところだが、残念ながら、魔女が消えないのも飛べないのも調査済みだ。魔女と人間の生物学的な違いはそう多くはないからな」 「じゃあ……どういうつもりなの?」  声の震えはおさえられたが、代わりに微かに体が震えた。彼は笑った。 「そう怯える事は無い。どうせ私の寿命は君の寿命よりも短いんだ。私が死ねば、君は自由になれる。ああ、もちろん、君が見た目どおりの歳ならな」  魔女の寿命はおよそ二百年ほどある。加えて、寿命の大半を若い姿で過ごす。たとえ私が百五十歳だったとしても、彼にはわからないだろう。だが彼の方は、どんなに見た目以上に年を取っていたとしても、二十代であるのは間違いない。 「あなたが死ぬまで何十年もここに繋いでおく気?」 「暇をする心配はないと思うがな。この屋敷は広いし、屋上や庭もある」  そういう問題ではない。  そう思ったが、ひとまず生かしておく気はあるらしい、とも思った。彼は既にわたしに触れられる距離まで近づいていたが、両手は下ろしたままだった。 「何のために私を買ったの?」 「一度くらいは魔女を見てみたかったからな」 「もう見られたじゃない」  私の言葉に、彼は肩をすくめた。何を考えているのかわからなかったが、私に危害を加えたいと思っているようには見えなかった。それとも、わたしがそう思いたい、というだけだろうか。気を抜くと震えそうになる体を叱咤して、彼を見上げた。 「あなた、名前は?」  私が聞くと、彼は虚をつかれたような顔をした。はじめて人間らしい表情が見られて、少しだけ胸がすく気がする。 「どうしてそんなものが知りたい?」 「しばらくここにいなきゃいけないなら、呼び方がわからないと不便じゃない」 「そんなもの、好きに呼べば良いと思うが」  彼はそう言ったが、考えるような顔をして、やがて言葉を継いだ。 「アルフレド・ベネディクト・ベラスコだ。君は?」  見れば見るほど、彼は人間の手によって造られた彫像のようだった。均整のとれた長身に、非の打ちどころのない容貌。磨かれたような白くなめらかな肌に、綺麗なガラスをはめ込んだような瞳。 「ソフィア・メーヴィス・レイン」 「ソフィアか、智を表す名だな。魔女に相応しい」    満足したような表情で、彼は頷いた。以来、私はこの城に繋がれている。
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