言葉の重み

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私の場合、糖尿病による合併症で腎不全になり透析を行っている為、膵臓と腎臓の同時移植が必要不可欠。 通常の移植の場合、腎臓のみの単体移植になる為、バンクに登録しても待機時間は数年から数十年に及ぶという。 むろん他にも方法はあって、家族や友人等から腎臓を提供なんて話も、よくあるが、やはり其なりのリスクを伴い負担も強いられる。 それ故に大切な家族を犠牲にしてまで移植を行う必要があるのか?と考える方も少なくはないのだ。 私は亡くなられた方から臓器提供を受けることなる。移植の話を始めて夫婦で聞いた時、聞きながら堪えきれず心が悲鳴を上げ泣いてしまった。 もし、自分の家族が亡くなって自己表示カードに臓器提供を希望と書いてあったとしても家族は本当に、それを心の底から望み、認めているのだろうか?愛する人の体の一部が知らない人の物になることを。 人の考え方は、各々で亡くなっても誰かの為に役に立ち新しい人生を歩んでいけると心の底から望まれているのなら悔いも未練もないだろう。 でも私のように、それを簡単には受け止められず認める事が出来ない人もいるのだ。自分が移植を受ける立場に立たされた時から深く深く悩み、考えさせられ私の心を憂鬱にした。
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