高木とりんご

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 外回りを終え、夕方になるに連れて連絡をしようかしまいか、悩み始める。  明日の夜までは連絡が取れないという事は、今日なら連絡が取れるって事だ。  疲れてるだろうか、  誘ったら来るだろうか、  取り留めもなく、  柄にもなく悩む。  気が向いて公園の方を通って帰る事にした。  フロントガラスの向こうには淡いオレンジの光が雲に溶ける。  丁度、帰宅の時間で車も込み合う。  信号待ちの一瞬。  ふと、道路脇に目を向けると、カフェオレ色のモッズコートが目に入った。  身なりの良い男とりんご。男はりんごに詰めよっている。  ちょっと様子が変だ。 「……りんご?」  信号が青になり、りんごに目を奪われていた俺は、後ろの車のクラクションに急かされ発進した。  ちょっと先の路肩に車を止め、歩いて戻る。  様子を伺いながら近寄ると男は、丁度建物の隙間に隠れた所で大きく手を振り上げた。 「……おいっ!」  男とりんごの間に滑り込んだ。  首から肩に掛かる様に平手打ちを喰らって、ビリビリとした痛みが走る。 「いって……!」  男は驚き、りんごは俺の後ろで、言葉を失っている。 「なんだ、君は……」  インテリ風のその男は線の細いシルバーフレームの眼鏡を直して、俺を睨んだ。  頭がフル回転する。  ごまかしやおべんちゃらが効く相手ではなさそうだ。  こういうタイプは激昂すると質が悪い。  上手い事切り抜けなければ、後々が厄介だ。 「穏やかでは無いですね、女性に手を挙げるなんて」  俺は出来るだけ、ゆっくり丁寧に話す。 「貴方には関係ない。そこをどきなさい」 「そうは行きませんね。僕は一発貰ってますから、ここから先は正当防衛です。たれ込みましょうか? 警察に。お見受けした所、貴方もそれなりの立場がおありなのでは?」 「……っ脅すつもりか!」 「嫌だなぁ、交渉ですよ。彼女に金輪際近付かないって約束して下さるなら、僕は貴方の事を誰にも言いません」  黙って後ろに佇んでいるりんごの表情が気になる。  男に分からない様に、俺はりんごの手を探った。  握りしめられた手を上からそっと握ると、緊張して冷たくなった手は少し奮えていた。 「今日の所は帰るとしましょう。でも、彼女には話がありますので、また後日改めて……」 「約束が違うなぁ、交渉決裂です。警察を呼びます」  携帯を取り出す仕種で、男は悪役よろしく舌打ちをして去って行く。 「半年間は被害届が有効ですので、覚えておいて下さいね」  俺は、男の背中に捨て台詞を浴びせてりんごに向き直った。  俯いたまま、黙っている。 「怪我してないか?」 「……ごめん、ありがと」  振り絞る様な声。泣いているのかと思った。  りんごは顔を上げると、ぞっとする様な冷ややかな顔で笑う。  「あの男、絶対許さない」  りんごは怒っていた。 「知り合い……?」 「去年の暮れに別れた男。腐れ外道だわっ!」  俺は泣かれても困るが、あまりにも強いりんごの言動に肝を抜かれてしまう。 「京平、痛い?」  りんごは何かに気付いたかのように俺を見て、首筋にそっと手を添わす。  少し上を向いたりんごの尖った顎に見惚れた。 「いや、平気だ……」  そう言うと、今までで一番柔らかい笑顔を見せた。  りんごを車に乗せ、家まで送る。  仕事が忙しい時は職場に泊まり込むが、今日みたいに仕事が明けると、帰宅途中で待ち伏せされるらしい。 「いつも、あんな感じなの?」 「手をあげられたのは、今日が初めてよ」 「嘘、つくんじゃねぇよ」 「……」  自宅に着いても不安感を拭えなかった俺は玄関まで着いて行った。  小さなアパート、意外に質素な生活だ。  玄関にりんごを押し込んで扉に挟まる様にして、家の中が見えない様に立つ。  漂ってくるバラの香りが、りんごらしいと思った。 「とりあえず、すぐに鍵かけて、何かあったら絶対電話しろよ」 「お茶でも飲んで行く?」  そうしたいのは山々だったが、非常事態の男女は何とやら……。  俺の理性も、そう硬くはない。  こんな状況で、弱った所に滑り込んで手に入れる様な安い女じゃない。  何より、やっぱり理性が持たない。 「今日は疲れてんだろ……、今度手料理でも食わして。明日休みなら、どっか連れてくし……」  と、言いかけてる最中に、俺はネクタイをぐっと引っ張られ、ぎりぎり唇が触れる手前で、りんごは一度俺の目の奥を伺う。  綺麗に瞼を落とすと、りんごは柔らかく俺にキスをした。  目を閉じる間の無い俺は、呑気に綺麗なりんごの睫毛に見とれていた。  少し長めのキスをして、りんごは「今日のお礼よ」と笑う。 「足りねぇよ、もっかい」  ちゃんと眸を閉じて、りんごの熱を感じる。  優しく、柔らかく、傷つけ無い様に細い首を両手で包む。  だけど、玄関は閉めない。  この扉を閉めたら、理性は切れる。  扉に身体を挟んで、惹かれる事を躊躇している自分がいた。  好きなのに、これ以上踏み込むのが怖い。  好きだから、ここから先が未知で、ちゃらんぽらんな俺は心の何処かで怖気づく。 「じゃ、また明日」 「あぁ、また明日……」  この翻弄される感じに、期待と違和感を抱えて俺はりんごを手放した。
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