高木とりんご

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高木とりんご

 まだ肌寒い3月の終わり。  俺は久しぶりに頭を抱えていた。  普段なら、他人の事でこんなに悩む事も無い俺だが、これは悩まずには居られない。  まだ、寒さの中咲き切れずにいる桜の木が突風に揺さぶられて、ざわめく。  綺麗な満月が群青色の夜空に穴を開けていた。  公園のベンチで、携帯を片手に思い悩む。  公園の明かりで浮かび上がる薄暗い風景、野良猫が一匹、俺の足元に擦り寄ってゴロゴロと喉を鳴らした。 「お前なら、どうする……?」  携帯の画面に写る女は、間違いなく失踪した同僚の彼女だった。  親父の見舞いに行った先で同僚の探し人を見つけてしまった俺は、半信半疑のまま柱の陰から隠し撮りをした。  何度見ても、永井昴(ながいすばる)だ。  岡本が探している永井昴を「末期ガン特別病棟」で見つけてしまった。 「どうすんのさ、俺……」  野良猫は餌を貰え無いと悟ったのか、しらっとした顔で闇の中に消えて行く。  カシャ……  カシャ……  ふと、気が付くとシャッター音が耳についた。  辺りは暗く人影は見当たらない。  良く耳を澄ましていると、野良猫の消えて行った闇の中に立っている女がいた。  かろうじて見えるその姿は、すらりと細く綺麗な立ち姿でカメラを構えていた。  段々と浮かび上がるその姿は、月を仰ぎ見る様にカメラを構えて、シャッターを、切る。  カシャ……  月は強風で流れ去る雲に撫でられながら、琥珀色の柔らかな光を放っていた。  彼女の視線を追うように、夜空を見上げてぼぅっとしていると、思考回路が真っ白になる。  考えるのに疲れて来て、そのまま夜空の色を瞼の裏に閉じ込めた。  気が付くと、いつの間にか女は隣のベンチに座り、タバコを口にくわえたままポケットをまさぐっている。  くわえたタバコを一旦手元に戻すと、ため息をついた。 「ドーゾ?」  俺はライターを差し出した。 「ドーモ……」  軽く会釈すると、ライターを受け取り火をつけようとするが、風が強くてなかなかつかない。 「貸して」 「あ、すみません」  スーツの上着で風を避ける様に彼女の前に立ち、火をつける。  一瞬、立ち上ったライターの明かりが彼女の白い肌を浮き上がらせた。   化粧気の無い白い肌、ぱっつりと切られたおんざの前髪に長いストレートロングの黒髪が彼女の美形を際立てる。  薄い桜色の唇にくわえられたタバコが、色っぽい。 「ありがとう」 「いーえ、どういたしまして。隣に座っても?」 「ええ、ドーゾ?」  彼女は薄く笑うと、何でもない事の様にそう答えた。 「猫に相談する人を初めて見たわ」  彼女は真剣に、意味が分からないと言いたそうな顔で俺を見る。  と、言うか、聞かれていたのか……、気まずい。 「答えてはくれなかったけどね……」 「そりゃあ、ね」  クスクスと笑う彼女は組んだ足にタバコを持った右肘をつくと「私が猫になりましょうか?」と笑った。 「この猫は答えてくれんの?」 「さぁ? 猫は気まぐれだから」 「気が向いてくれたら有り難いね……」  俺は本題を思い出して、ため息をつく。  今、会ったばかりの彼女に話したとしても解決するかは定かでは無いが、どちらにせよ、俺には相談出来るヤツなんて岡本くらいのもんで、渦中の岡本に相談もクソも無い。  岡本と昴ちゃんのいきさつをかい摘まんで説明すると「言う」 と即答で返って来た。 「早っ!!」 「だって、知った上で彼がどうするかはまた別問題でしょう? 知らないまま選べ無いで終わるよりは良いと思うけど……?」  あっけらかんと、当たり前でしょと言わんばかりの顔で言われると、納得するより他は無い。 「言いづらい話だけどね」 「あぁ……」 「貴方が見付けた事にも、意味があるんじゃ無いかしら?」  彼女は首から下げていた一眼レフを片手で外しながら煙を宙に吐く。 「意味?」 「だって、他の人だったら教えてあげられないじゃない。彼と彼女の事情を知ってるから教えてあげられるんだもの」 「……なるほど」  何だかストンと落ちて、さっきまでの苦悩がバカバカしく思える。  そんな風に考えた事は無くて、ただ俺は、見てはいけないものを見てしまったと感じていた。 「ありがとう……」 「どういたしまして? そろそろ帰るわ……」 「猫の名前を聞いても?」  立ち上がった彼女に、少し淋しさを覚える。  俺が手を出してはいけない上等な猫だ。  清廉で、真面目で、美しい……上質な女。 「りんご。倉科(くらしな)りんご」 「りんご? 果物の林檎?」 「平仮名でりんごよ」 「かわいいね……」 「拾い主の名前は? 教えてくれないの?」 「高木京平(たかぎきょうへい)」  拾われる気も無い気まぐれな猫は「またね、京平君」と片手を上げて去って行った。 「またね、ってまた会えんのかよ……」  誰かと一緒に居て、こんなに後ろ髪引かれる様な淋しさを感じるのはいつぶりだろう。  だけど、清々しい気分で俺は公園を後にした。
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