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令和15年 回想 折田民雄②
民雄がテーブルに置いたコーヒーに、礼人は手をつけようとはしなかった。
多部礼人は高校2年の頃に民雄がクラス担任をしてからの付き合いだ。
だから、今年で1年ちょっとの付き合いと言うことになる。
声が大きく、口調が荒く、いかにも中年親父と言った風情の民雄は、一般に生徒からの受けが悪い。
ただし、代わりと言っては何だが、ごく限られた生徒には異常になつかれる。
礼人はその筆頭といってもいいだろう。
悪い言い方をすると、はぐれ者と言われる生徒だ。
例えば、不良と呼ばれる生徒だったり、ミュージシャン志望で夜遊びが盛んだったり、お笑い志望だったり。
そういった生徒に、夢に突っ走るなら最低限赤点はとるな。と言って、徹底指導するのが民雄だった。
他の教師からは、無視されたり、腫れ物扱いされたり、夢を笑われたりという扱いを受けていた生徒は、この民雄の熱意にコロっといってしまう。
勿論、それは民雄自身が生徒のことを信じて、本気で向き合っているからではある。
さて、そういったわけで入学当初からユーチューバーになることを公言していた礼人も民雄にすぐなついた。
礼人が高校生の頃は、まだネットに対する免許制度は実施されていなかった。
なので、礼人は高校に入学して動画配信を始め、民雄が担任になった時には収益化に指先をかけている状態だった。
今年は大分知名度も上がって、高校卒業までに安定した収益化を成し遂げると鼻息を荒くしていたのを、民雄は覚えていた。
だが、目の前でコーヒーに手をつけず涙を流し、鼻をすする礼人はずいぶんと小さく、それこそ小学生のように見えた。
ごん!と締め切った雨戸に何かが当たった。
近所の悪ガキが石でも投げたのだろう。
くだらないことをすると、民雄は鼻で笑った。
いたずら電話が多いので、電話線は切って携帯も電源を落としている。
同僚には通常業務についてはPCにメールで送るように、緊急の案件に関しては直接家に来るように言っている。
「先生、おれ、ユーチューバーやめます」
「おいおいおい。何言ってんだ。多部。
やっと収益化できてきたんだろ。
親が会社経営で失敗した分の借金を自分が返してやるんだっていってたじゃねえか。
それに小学生のころからの夢だったんだろ?
夢に文句言わせないために、勉強だって頑張ってトップクラスになったんだ。
今更なんでそんなこと言い出すんだよ」
「・・・・・・」
民雄の言葉に、礼人が歯を食いしばったのが、傍目にもわかった。
それからゆっくりと顔を上げる。
泣きはらして真っ赤になった目で、礼人は民雄を見る。
その瞳にあるのは罪悪感と後悔。
今までの礼人からは考えられないくらい暗い瞳に、民雄は思わず息をのんだ。
「先生が謹慎する原因になった動画」
「ああ、あのちょっと小突いてやったら、田中の奴が大げさに痛がった奴な。
うおおお!おれの頭が割れて火山がどっかーん!ってやつ」
民雄がクラスのお調子者を小突いた動画、それがなぜかネットに拡散され、生徒に体罰を加えた暴力教師として民雄は教育委員会に呼ばれ、謹慎処分を受けることになった。
そして、家には幾度となく落書きがされ、窓ガラスは割られ、どこで調べたのかひっきりなしにいたずら電話がかかるようになった。
民雄はそのすべてを下らないの一言で、無視することにした。
様子を見に来た同僚が家の様子を見てドン引きしていたが、民雄としては暴走族に家を囲まれた経験だって1度や2度ではない。
たまによくあるくらいのことである。
「あの動画。アップロードしたの俺なんです」
絞り出すようにそう言ってから、礼人は堰を切ったようにすべてを吐き出した。
田中のギャグをはやらせようと思って動画を撮ったこと。
最初は面白動画として拡散されたこと。
けれど、徐々に様々な加工が施され、まずいと思って動画を消した時には手遅れだったこと。
加工といわれて、民雄にも思い当たることがあった。
実際はこつん程度だったのに、動画ではゴっと重い音がしていたり。
田中が立ち上がる部分がカットされて、まるでそのまま気絶したようになっていたり。
民雄とは似ても似つかない声で、民雄がしゃべっているかのように聞くに堪えない罵詈雑言がアテレコされていたり。
「俺が、俺のせいで、先生が」
礼人の謝罪を聞いて、民雄は礼人がなぜこれだけ傷ついているのか理解した。
そして、傷ついていることに気づけなかった自分に対して、ふつふつと怒りがわくのを感じた。
教師として、礼人を慰めなければいけないと思った。
こんなことで夢を諦めてはいけないと。
無責任でも立ち直らせる言葉がかけなくてはと思った。
けれど、傷ついている礼人の姿があまりにも弱々しく、民雄にできたことといえば、
「大丈夫だ。大丈夫だから」
そう言って、頭を撫でてやることくらいだった。
その後、民雄は学校側から自主退職を求められた。
とかげの尻尾切りだとはわかっていたが、受験前の生徒の精神面を考えてと言われれば、逆らうことはできなかった。
その年、ネットの免許制度が実施され、礼人のユーチューブチャンネルが炎上し、礼人が免許を剥奪された噂で聞いた。
生徒の夢が潰れてしまったのを残念に思うと同時に、礼人がまた傷ついたのではないかと心配したが、連絡を取る手段が当時なかった。
だが、数年たってから再会した礼人の顔はあまりにもすっきりとしていた。
教員免許をとったので、民雄の塾で働かせてほしいという礼人。
その姿を見て民雄は、もしかしたら、礼人は贖罪のためにわざと炎上して免許を剥奪されたのではないかと考えた。
直接本人に確かめることはしなかった。
肯定されても否定されても、民雄にできることはなかったし、塾で働く礼人は十分に幸せそうに見えた。
なら、別にどちらでもかまわないと思えた。
礼人が死んでしまってから思う。
礼人は自分で信じた道をまっすぐ走った結果炎上してしまったのか。
それとも信じた道をねじ曲げて炎上という炎に身を投じたのか。
もし後者だとすれば、民雄は、礼人が謝りに来た日に何か声をかける必要があったんじゃないか。
曲がってしまった生徒の運命をまっすぐに戻してやるのが教師の役目だったんじゃないだろうか。
自分にはもっとできたことがあったんじゃないだろうか。
傲慢すぎる考えだと気づいていながら、民雄は礼人の遺影から目を離すことができなかった。
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