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令和30年 葬儀場 多部家通夜
午後6時から始まった通夜は。
形式通りの念仏、
形式通りの焼香、
形式通りの挨拶を経て、午後8時に終わりを告げた。
令和もすでに30年になったが、このあたりの儀式的なことは昔と大して変わらないようだ。
須磨法太郎は、3歳の時に祖父が死んだ時を思い出していた。
葬儀場には50人以上の人が集まっていた。
花輪には近所の商店街の名前や、地元の地域施設の名前などが添えられている。
花に囲まれた遺影には、短髪の線の細い男性が穏やかな笑みを浮かべている。
多部礼人は法太郎の友人であり、教師であった。
法太郎が32歳で礼人が36歳という年の差があったものの、二人は気があった。
礼人が結婚する時には、法太郎は泣いて喜んだ。
法太郎のユーチューブチャンネルが収益化できた時には礼人が祝いの酒を持ってきた。
早すぎる死だった。
昔は20代が若者で30代は中年だったらしいが、今では30代は若者で50代になってからやっと中年と呼ばれる。
礼人は、勤め先の塾で夕方にやってくる生徒たちのための授業の準備をしていたらしい。
資料を探すと言って資料室に入ったきり、出てこなかった。
不審に思った塾長の折田民雄が資料室を開けると、礼人は死んでいた。
すぐに救急車を呼んだが、間に合わなかった。
死因は心筋梗塞だったという。
出口を見ると、礼人の妻の多部千夜(ちや)が帰る人たちに頭を下げて挨拶をしている。
法太郎と同い年の彼女は、普段礼人の3歩後ろに控えて微笑んでいるような印象の強い女性だった。
法太郎と話す時も積極的に話すことはなく、
「そうですか」
などと相づちを打つことが多かった。
ただ、言葉が少ない代わりに、その大きな瞳でじっとこちらを見ていることが多く、法太郎などはどこか居心地が悪く口数が多くなって言わなくてもいいことを言ってしまうことが多々あった。
一度そのことを礼人に相談したところ、
「無理に話すことはないだろ。
話がしたけりゃ、千夜の方から言ってくるさ」
などと、のろけなのかどうなのかわからない返答が返ってきた。
実際、礼人と千夜が一緒にいるのを見ると、会話をしているよりも見つめ合っている時間の方が多かったように思える。
2秒ほど見つめ合って、互いに会話の内容を確認してから話を始めるような、そんな不思議な間があった。
そんな千夜であったが、今は意気消沈している礼人の両親を守るかのように背を伸ばし、よどみなく弔問客に挨拶している。
むしろ、千夜の祖父の方が彼女よりも落ち込んでいるように見えた。
男手一つで育て上げた孫娘をやっと安心して任せられると見込んだ男が死んだのだ。
そう思えば、その落胆ぶりにも納得がいった。
法太郎は、スマホを取り出す。
今日は生配信する予定ではあったが、さすがにそんな気力はない。
「友人が死んだので、1週間ほど配信は休みます」
文章を練る気力も沸かず、要件だけを端的に書き込む。
すぐに
『落ち込まないで』
『大丈夫ですか?』
『ゆっくり休んでください』
などの励ましの言葉が書き込まれた。
勿論、そのうちのいくつかは見るに堪えない悪口だったが、すぐに通報されて消えてしまう。
「わざわざポイントを減らして、ご苦労なことだ」
法太郎は鼻で笑い、スマホを操作する。
表示されるのは礼人と撮った思い出の写真の数々だった。
礼人の写真はネットにアップロードできないので、このスマホの中にしか存在しない。
それらを見ながら、法太郎は徒然と礼人との思い出を振り返り始めた。
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