第1話 幸せの感度

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 自分が不幸だと思っていても他人からはそうは見えない。  これは確かになさそうだ。  あるとしたら、自分よりかはマシ、という不幸の比べっこくらいか。  この場合はどちらも不幸であることに変わりはない。  他人から見て不幸でも自分にとっては幸せ。  これは価値観の違いで認められなくはないだろうけど、まぁ例外として片づけてもいいだろう。さっきの感度の話と同じか。 「不幸なことがあっても、それをバネにして成長することはできるから、不幸なことが全面的にいけないことだというわけでもないけどね」 「それは、残念ながら幸せもそうですよね。急転直下のように不幸になることもあるでしょうし」 「そうだね。だからずっと、幸せであり続けることも、不幸であり続けることも難しいと思うんだ」  さっきから千鶴さんの言うこと一つ一つの理解はできる。  ただ、やはりこのひとりごとの着地点が全く見えてこない。  峰岸さんの表情は硬いままだが、真剣に話を聞いているように見えた。 「そんなわけで、ひとまずここでは、不幸でないのであれば、それはもう幸せって言えることにするよ」  なるほど、そういうことか。  幸せとは何かという定義は難しいから、少なくとも不幸でないことを幸せと呼ぶことにする。  千鶴さんらしい、少しずつ考える範囲を狭めていく方法だ。
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