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せっかく浄化されたのに台無しだ。
小刻みに震えながら送られてきたメッセージを画面に表示し続けるスマホに、うんざりした溜め息が溢れる。
浮気したくせに、別れるって言った時追いかけて来なかったくせに、今更復縁とかありえない。うざい。最悪。
「あー、やだやだ」
一番嫌なのは、そんな相手をブロック出来ない自分。
スマホの電源を切り、鞄に突っ込んでコートを羽織る。
家にいても鬱々とするし、人の波の中を歩いていれば気が紛れる、はず。
「だったんですけど、ね」
と、話す先にいるのは、あの神社の神主さん。
社務所の戸締りをした後だったのにも関わらず、わたしに気付いてもう一度鍵を開けて話を聞いてくれている。
「どうせ僕も、帰っても一人ですし」
にこにこと笑みを浮かべ、ケトルでお湯を沸かしつつコーヒーの準備をしてくれている背中に、本当にすみません。と頭を下げる。
着物姿の時は気付かなかったけれど、男性にしては結構華奢な人だ。黒のスキニーにチェスターコートが似合っている。
「神主さんて、一人しか居ないんですか?」
前も今も、関係者らしき人は彼以外見かけていないし、形跡もない。
「えぇ。まぁ、僕も少し前に配置なったばかりなんです。兼任の方が退職されたらしくて」
「なるほど」
常時人がいるわけじゃなかったから今まで誰にも会わなかったわけで、彼が常駐になったから恥ずかしい姿を見られてしまった、と。
答えに行き着いた所で思わず頭を抱えてしまう。
偶然とはいえタイミングが……神様って意地悪すぎる。
「どうかしましたか?」
不思議そうに言う神主さんに、いえ、何でもないです。と答えてコーヒーを受け取る。
粉末のインスタントである事は見ていて間違いないのに、とてもいい香りがする。
普段は絶対ブラックコーヒーなんて飲まないのに、香りに誘われて啜った一口は想像とは全く違うものだった。
コーヒーの香りが鼻に抜けて、苦味が少なくて、ふわふわしている。
「美味しい」
ほろりと溢れた言葉に、神主さんが目を細める。
そして彼も、同じようにコーヒーを啜った。
そう言えば、名前も知らないのに当たり前みたいに優しくしてもらって、それに甘えちゃってるな。
「加々地、です」
「……へ?」
「僕の名前、加々地静っていうんです」
きょとんとしてしまったわたしに、神主さんは机から名刺を取り出して差し出す。
「あ、ありがとうございます」
カガチと言えば蛇の別名だったはず。神主さんていう事はきっと代々そうなんだろうし、そういう由来がある苗字なのかな。なんて、思いながら名刺を見つめる。
「わたし」
「天野花蓮さん、ですよね」
「え」
どうして?と言い掛けたところで、加々地さんが困ったように眉を下げた。
「盗み聞きのようになってしまって申し訳ないのですが、その、聞こえてしまって」
あの時に。と言われて気付いた。
わたし、あの時誰もいないと思って願い事の後に名前も言ってた。
「すみません……」
「いえ、あー、ですよね!」
謝る加々地さんに、気にしないで下さい!と力強く告げる。
けれど、本当は穴があったら入りたかった。
「でも、良い事だと思います。神様にもきちんと聞こえたと思うので」
ふ、と口元を緩めた表情は少し揶揄うようなもので、頭の奥がじーんと痺れたような気がした。
「……あの!」
「はい?」
マグカップを握る手に無意識に力が入る。
「また来ても、いいですか?」
ドキドキする。緊張する。声が、震える。
けれど、それとは反対に、加々地さんがふわりと笑みを浮かべる。
「勿論、いつでもどうぞ」
「ありがとうございます」
それから少し世間話をして、一緒に鳥居をくぐった後別れた。
何となく振り返ってみたけれど、もう加々地さんの姿は見えなくなっていた。
背が高いから、雑踏の中でも見つけられそうだと思ったのに。
少し残念に思いつつ、自分も帰路に足を踏み出す。
冬の北風が吹き抜けたけれど、身体はほっこりと暖かかった。
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