いのち短し願えよ乙女

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 加々地さんへのお礼は、デパ地下で小さいサイズの焼き菓子の詰め合わせを買った。  コーヒーに合いそうで、日持ちがして、仮に口に合わなかったとしても捨てやすいもの。  あとは渡しに行くだけなんだけれど、その勇気が出なかった。  いつでもどうぞ。と言われたけれど、よく考えたらあれは社務所に顔を出す。という事じゃなく、参拝に行く。という意味で捉えられているかもしれない。  いや、きっとそうだ。 「何か自然に行く用事があればな〜……」  打ち込み途中の書類を眺めながらポツリと溢す。 「天野さん」  隣の席の横山さんが身を屈め、何かを拾って差し出してくる。 「これ、天野さんの?」 「あ……ありがとうございます」  机の引き出しに仕舞っていた御守り、さっき探し物をした時に落としてしまっていたらしい。  ありがたく受け取って、まじまじと眺める。  そういえば、これをくれたのはあの元彼だ。  仕事頑張ってね。とくれた開運の御守り。  こういうちょっとズレてるところが可愛いと思っていたけれど、まさかストーカーになるとは。  正直、もうこれは持っていたくないかも。と、こっそりと御守りの捨て方を検索して目を通し、小さくガッツポーズをした後急いで仕事に取り掛かった。  仕事を定時で終わらせ、足早に歩く。  神社の鳥居の前まで来て、大きく深呼吸をした。  今日は、この御守りを返しに来た。大丈夫、目的はそれだから。  そう自分に言い聞かせて、鳥居をくぐる。  日が沈みかけ、街灯の灯りに照らされる参道を歩いて拝殿に向かう。  まずは、お参り。  鐘を鳴らし、五円玉をお賽銭箱に入れて手を叩く。    神様、加々地さんと自然に話せる勇気をください。  しっかりお祈りをした後、古札入れに御守りを入れる。  御守りに罪はないけれど、ごめんなさい。  一応古札入れにも手を合わせて謝っておいた。  あとはきっと、加々地さんが供養してくれるはず。  社務所に灯りはついていた。  大丈夫、新しい御守りを買うついでに、この前のお礼です。って、お菓子の袋を渡せばいい。  コツ、コツ、と石畳を歩く音が静寂に反響して大きく聞こえる。  深呼吸を繰り返しながら社務所へ近付くと、顔を上げた加々地さんと目が合った。 「こんにちは。もうこんばんは、かな?」  御守りの並ぶ受付窓を開きながら笑顔を浮かべる加々地さんに、上手く返事が出来なかった。  加々地さんは、今日は着物ではなく狩衣を着ていたからだ。  反応のないわたしに首を傾げ、視線に気付いて眉を下げる。 「今日は奉納があったんですよ。もしかして、似合わないって思ってますか?」 「っ、いえ!そんな!むしろ、似合ってます……」  尻すぼみになってしまったのは、狩衣姿の加々地さんが本当に綺麗だったから。  慌てたわたしをみて、可笑しそうに笑う。  大きく口角を上げた時に見える鋭い犬歯は、切れ長の目と相まって、名前の通り本当に蛇みたいだ。 「あ、そうだ、えっと、今日は御守りが欲しくて」    誤魔化すように言って、目の前に並ぶ御守りに視線を移す。  御守り、と言っても何の、というところまでは考えていなかった。  恋愛とか縁結びが欲しいけれど、加々地さんの前で買うのはちょっと気が引ける。 「これにします」  仕事運と書かれた御守り。 「六百円、お納め下さい」  あー、緊張で手が震える。気付かないで欲しい。  コイントレーの上に五百円玉と百円玉を乗せる。  それを受け取った加々地さんは、御守りを紙袋に入れて差し出す。 「ようこそお参り下さいました」 「ありがとうございます」  お互いに頭を下げるのが少しこそばゆい。 「あの」  今しかない。と、カバンから焼き菓子の包みを取り、加々地さんに差し出す。 「これ、お礼です。たくさん助けて頂いた上にタクシー代も頂いちゃって、お口に合うか分かりませんが」  ドクン、ドクン、と心臓が高鳴っている。 「頂いて良いのですか?」 「はい、出来れば、受け取って貰えたら」  視線を上げられず、加々地さんの表情が分からない。 「少し待ってくださいね」  はい?と、加々地さんの言葉に頭が真っ白になる。  カラカラ、と扉受付窓を閉める音がした後、社務所のドアが開く音がして、足音が近付いて来た。  目線の先に、白い足袋に草履を履いた足が見える。  そして、焼き菓子をようやく受け取ってもらえたと思ったら、そのまま加々地さんの腕の中に抱き込まれてしまう。 「ありがとうございます。大切にします」  待って、会話が噛み合ってない。頭の中がぐるぐるする。それと狩衣からすごくいい匂いがする。 「は、はい」  違う。これじゃ、OKしたみたいになって、いや、OKしたいけど、ちょっと待って欲しい。  動けないままのわたしから少し身体を離して、加々地さんはとても嬉しそうに笑う。 「どれくらい待てば良いですか?」 「えっと、五分くらい、て、えぇ?」  五分ですか。と、わたしの背中に回した腕をそのままに、加々地さんは左腕の腕時計に視線を向ける。  わたし、さっき待ってって口に出してないよね? 「えぇ、出していませんよ」  さらりと、腕時計から目を離さないまま加々地さんが答える。  な、んで?  目を丸くするわたしに、加々地さんはまた揶揄うような笑みを浮かべる。 「何でだと、思いますか?」  加々地さんの細くて長い指が近付いてきて、わたしの頬に触れる。  ひんやりと冷たい。 「え、っと……」 「元彼との縁は、切れましたか?」  そうだ、結局あの後友達から連絡があって、彼は東南アジアの支店に転勤が決定したらしい。  というのも、社内恋愛で手をつけたのが支店長の姪な上に、わたしと揉めていたのも会社の人に見られていて、更に借金とキャバクラ通いもバレたとか。  少し同情するけど、お陰ですっぱりブロックする踏ん切りが付いた。 「いい人とは、結ばれましたか?」  恐る恐る顔を上げると、視線がぶつかる。  初めて見る、加々地さんの不安そうな表情。  ぐっと息をのんで、腕を加々地さんの背中に回す。 「最後に、付け加えてもいいですか?」  加々地さんの胸に額を寄せて呟くと、どうぞ。と優しく髪を撫でられた。 「神様、お願いします。わたしと加々地さんの幸せが、ずっと続きますように」 「その願い、しかと聞き入れました」  顔を上げると、加々地さんがゆっくりと身を屈める。そのまま目を閉じると、そっと唇が重ねられた。  お願いはこれで終わり。  これからは、二人で叶える努力をしよう。  ね、加々地さん。
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