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『形』っていう文字って、一文字だけ改めて見ると、何とも言えない。 左側は『刑事』や『刑罰』なんかの『刑』と同じだから、何だかちょっと気が引き締まるというか、ピリッとしたものを感じる。 でも右側のさんづくりは、流線美…みたいな。 さんづくりは艶やかな髪が元になっているということを、漢字辞典で見た気がするので、こうして見ると漢字一文字取っても、言葉って面白いなあとつくづく思う。 いきなり漢字の話になったけれど、今日書きたいのは、言葉という『形』について。 私は、本を読むのが好きだ。 別に本になっていなくても良い。 誰かが書いたメモ書き、年賀状に添えられた一筆、140字以内の呟き、手紙や日記、歌の歌詞…何でも良い。 フィクションでもノンフィクションでもエッセイでも。 とにかく、誰かが紡いだ言葉というものが好きなのだ。 言葉だから、文字に起こさなくても良い。 誰かの話を聴くことも、それはその人が紡ぐ言葉だ。 誰かに話を聴いて貰ってスッキリしたり、紙やスマホに気持ちを書き出して、スッキリした経験のある人は、多いのではなかろうか。 私はそこに、言葉という『形』にすることの重要性を、最近とても感じるようになった。 人の感情というものは、他人には勿論、自分自身の目にも見えない、とても繊細で複雑なものだ。 「凄く嬉しい!」だとか、「今とても悲しい」だとか、そんなざっくりとした表現はすぐに出来たとしても、その感情を詳細に表すことは、とても難しい。 でもだからこそ、私は言葉という『形』にして欲しいと思う。 どれだけ時間がかかっても良い。 何時間でも、何日でも、何年でも。 自分の心の中にあるものを、言葉という『形』にしたとき、それは初めて、誰かと共有出来るものになる。 形のない、触れもしなかったものが、言葉という『形』になって、誰かに伝わる。 日頃当たり前のようにしているけれど、それって結構凄いことだと私は思う。 『形』にすることで、「そうそう! これが言いたかったんだ!」と思うこともあれば、「いや、何か物足りないな…」と感じることもある。 新たな発見があったり、また違う言葉を探したり。 その繰り返しで、人は自分や他人をより理解していけるのではないかなあと思うようになった私は、最近趣味の音ゲーの合間に毎日読書をするようにしていたら、目を酷使しすぎて目薬が手放せなくなったので、節度って大事だ!
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