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『死にたい』は『生きたい』
今日はちょっと重たい話。
うちの長男は物凄く勉強熱心で、高校受験前には、それが強迫性障害にまで発展してしまった。
元々テスト前には自ら机に向かう子なので、私は彼に一度たりとも「勉強しなさい」と言ったことがない。
なのに、長男は毎日夜遅くまで勉強している。
テスト前は勿論、それ以外にも予習や復習なども抜かりない。
息子の通学カバンは、いつも教科書でパンパン。
勉強熱心なことは悪くない。
けれども長男の場合、いつしか勉強は「何が何でもしなければいけないもの」になってしまっていた。
喘息持ちで、夏と10月には肺炎を起こした長男は、学校を欠席しなければならない日が続くこともあった。
コロナ禍で、病欠は出席停止扱いにしてもらえるのだけれど、休んでいる間にも授業はどんどん進むし、テストも実施される。
真面目すぎる長男は、体調を考慮して休むことよりも、授業に遅れることが心配で堪らないのだそう。
オンライン化は、公平性を考えると公立学校で導入するのは厳しいと言われているけれど、「体調悪い人は出停扱いにするから休んでね! でも授業は進むしテストも予定通りやるから受けられない分は知らないけど!」っていうのが、このコロナ禍での学校の現状。
これって、果たして公平性があると言えるのか?、と私は甚だ疑問である。
そんなこんなで、最近授業について行けず、焦りを感じている長男から、とうとうあの言葉が出てしまった。
「最近、ずっと『死にたい』って思うねん。出来へんってわかってるけど」
ああ、そうか。
沢山悩んで考えて、「これは軽々しく言ってはいけない」「実行してはいけない」とわかっているけど、考えてしまう歳になったんだ。
「わかるよー。私も何回も考えた。でも出来ないんよね」
隣に座って同意した。
そんなこと言われたら悲しいとか、今はそんな言葉が欲しいわけじゃないよなって思ったから。
あなたの気持ちは凄くよくわかるし、言葉を選んで、それでもその本音を零してくれたことに成長を感じた。
正解なんかわからない世の中だし、どこがゴールかもわからない。
でもその中で苦しんでいる人、悩んでいる人はきっと沢山居るはず。
救いなんて大層なものは与えられないけれど、一緒に悩むことくらいは出来るよって、伝わっていたらいいなと思う。
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