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「宗介とは別れたよ、三ヶ月前」  気になってしょうがなかったなんてことはなく、半年ぶりに地元で会う友達との会話を途切れさせない様に努力する過程で、亜実が高校から付き合っていた彼氏の話題をふったにすぎない。……いや、今は元彼か。  あっさりしたものだった。高校一年で付き合い、卒業までそのまま関係は続き、付き合った・別れたのアップダウンに翻弄される同級生の中にあって、二人は落ち着きを感じさせる存在だった。  目鼻立ちのクッキリとした顔もよく似ていて「夫婦」というあだ名で呼ばれており、別々の大学に進学することが決まった際も「それじゃあ恋愛ごっこは終わり」という事にはならず、当然の様に恋人という関係のままでいた。  なんとなく、この二人は一緒にいるのが自然なのだろうという感覚があったのだけど、それはあくまで高校生という枠組みの中での自然であって、親元を離れ世界が広がれば、自然の定義もまた変化する……ということなのだろう。  私は恋愛感情というものはとんと理解できないが、デリケートな話題であることくらいは分別がつく。勝手な想像で関係が続いていると思い込み、薮蛇を突いたのではないかという想いから感じていた若干の気まずさは、あっけらかんとした亜実の言動が洗い流してくれた。 「気付いたら終わってたね。自然消滅ってやつ」  ナチュラルな様子で高校の三年間を共に過ごしたカップルは、これまた自然な様子で他人同士へと還っていったようだ。なんとなく駒田(宗介)君も、同じ様な感じなのだろうと想像がついた。  カップの縁に口をつけ、表面に描かれたラテアートを少し崩す。歪な形になって残ったハートの残骸が、先ほどの話題を蒸し返してくる様な心地がする。  少し目線を外し、コンクリに四方を囲まれたカフェの店内を見渡すと木造りのテーブルや本棚が目に入った。 「地元にこんなオシャレなカフェができるとはねぇ」 「田舎だからこそ、じゃない? 都会だと土地代が高くて、内装にまでお金かけられないとか」  亜実の意見に相槌を打つ。確かに、無機質な中にポツリポツリと孤島の様に暖かさを散らした洗練された雰囲気は、店内に意図的に作られているであろう余白によって支えられている部分が大きい。それを生み出す店舗スペース全体の面積がキモなのだ。きっと都会で再現しようものなら、土地代だけで倍以上の費用がかかるだろう。  しみじみと店内を見渡していると、床面からニュッと飛び出してきたものが目に入る。  ……なんだ、恐竜か。  床面を泳いでいるのか、歩いているのか、首から下は見えないので不明だが、首長竜と思しきその頭は一定のペースで上下に揺れながら左から右へと移動し、カウンターにめり込み、そして壁の外へと抜けていった。  かと思うと天井から巨大な脚が私たち二人の頭上に降りてくる。それはカフェでお茶する可憐な女子大生二人を踏みつぶすことはなく、そのまま何の抵抗もなく、私たちをすり抜けて床へと降りていく。  私たちの日常に恐竜がいる様になって久しい。映画の世界みたく、どこそこの会社が弛まぬ企業努力によって恐竜を復活させた……ということはなく、それは何の因果も脈絡もなく、唐突に日常に踏み込んできた。本当に突然、さもそうなることが自然であるかの如く目の前に現れたのだ。    じゃあ、突然現れた恐竜を捕獲して動物園みたいに恐竜園が造られて人気を博したかというとそんなことはない。  恐竜保護派と放任派に別れて倫理観をぶつけ合う論争が繰り広げられたかというとそんなこともない。  ならば唐突に現れた肉食恐竜に、悪徳企業の社長なんかがパクりと食べられてしまって被害者の溜飲を下げたかというと、それも違った。    私たち人類は、恐竜たちには触ることができなかったのだ。逆も然り、恐竜たちも私たちに触れることはできない。姿・形は見えるものの、触ろうとするとホログラムの様にすり抜けてしまう。  恐竜側からすると、こちらの事は視えていないらしい。ただ、悠々と闊歩しているだけである。  というわけで、出現当初こそ大パニックになったものの、お互い干渉できないので、それはそこにいるものとして人々は普通に暮らす様になった。部屋の壁を時々、恐竜がすり抜けていく生活を普通といっていいのかどうかは疑問だけど。。。  そんな状況であっても適応して楽しんでしまおうとするあたりに人類の種としての逞しさを感じる。  特に世界中の恐竜学者達はこの奇跡の邂逅に涙を流して喜んでいたし、恐竜研究は実際の姿を見られたことで飛躍的に進歩したそうだ。  また外に出れば本物の姿を見ることができるため、親子のコミュニケーションツールとして恐竜図鑑がよく売れた。  「あー、なんかごちゃごちゃしてきたね」  亜実の言葉に私は頷く。  どうやら群れが入り込んできたらしい。特に干渉されることはないといえ、リラックスしにきている場所がなんだか忙しなく感じるのは好ましくない。  私たちは店を出る事にした。腰丈くらいの恐竜が亜実のお腹のあたりから顔を出して、キョロキョロとあたりを見回しているのを横目に見ながら会計を済ませた。  カフェの外に出ても種々の恐竜が目に入る。彼らは私たちと同じ地面を共有しているわけではないらしく、空中を踏みしめながら斜めに空へと登っていくものもあれば、地面の下に地面があるのか半分以上道路に埋まりながら、一歩一歩を踏み締めて前に進んでいくものもあり、その光景は誰かの夢の景色に入り込んだみたいに珍奇なものだった。 「あれ、まだ向こうに帰らないよね?」 「うん、明々後日まではこっちにいる」 「じゃ、また帰るまでにもう一回逢おうよ」 「もちろん、こっちから連絡するね」  そんなそれまでは考えられなかった非凡な光景の中で、私たちは極めて平凡なやりとりを交わす。  恐竜たちが、上にも下にも横にも斜めにも溢れる道々を、私は実家に向かって進んだ。
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