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頬に触れる妙に冷やりとした感覚に、深雪は意識を取り戻した。この冷たさは何なのか。目を開けようしたが瞬間、左の側頭部がずきりと鈍い痛みを発する。
意識が朦朧とするせいか、うまく体を動かすことができない。呻くことも、指一本動かすこともできず、深雪はどうにか重たい瞼をこじ開ける。
徐々に視界がはっきりしてくると、自分が見慣れぬ薄暗い空間に横たわっていると分かった。どこかの屋内のようだが、暗くてよく分からない。ただ、古くなった木材やビニール、錆びた鉄などが周囲を覆っており、廃材特有の臭いが鼻をつく。
床は土が剥き出しになっていて、深雪は地面にうつ伏せで寝かされているようだ。頬が冷やりとするのは湿り気を帯びた土のせいらしい。
(……どこだ、ここは? 俺はどうなったんだっけ……?)
深雪は意識を失う直前のことを思い出そうとしてみる。そう―――確か何者かに金属バットで殴られたのだ。相手は黒いニット帽と黒いマスクで顔の大半を覆っていてたし、一瞬のことで顔まで確認している余裕はなかった。
そもそも突然、誰かに金属バットで殴られるなど、まるで身に覚えはない。何が原因なのか心当たりもないし、怒りを通り越して不気味ですらある。
ともかく、ここから脱出しなければ。深雪が指先を動かしてみたところ、手も足も縛られていないようだ。動こうと思えば自由に動かせるだろう。
しかし側頭部の痛みは尋常ではない。瘤ができているのだろうか。頭を触ろうと身動ぎしかけた深雪だが、不意に頭上から声が降ってくる。
深雪はぎくりとして動きを止め、周囲の様子を窺う。聞こえてきたのは複数の人物―――しかも若い声だ。
「おい……どうすんだよ、これ?」
「こいつ、まだ息してるよな? 動かしたら目を覚ましちまうんじゃね?」
「っつーか、そもそも気絶させるくらいなら殺しとけよ!」
「む……無茶言うなって! 殺すとか、どうやってやるんだよ!?」
「そりゃ刃物でざっくり刺すとかだろ」
「い、嫌だよ、そんなの! 服、汚れるし、やりたきゃお前がやれよ!」
「ふざけんなよ、てめえ! 責任転嫁するつもりか!?」
どうやら彼らは深雪の扱いについて揉めているらしく、どの声にもひどく動揺がにじんでいる。
「静かにしろ! ここまで運んできたからには、やるしかない。決まってんだろ!!」
リーダーらしき者が痺れを切らしたように他のメンバーを一喝した。深雪の頭上は一瞬、息を呑んだかのようにしんと静まり返る。
「ま、マジかよ……!?」
「マジでやんのか……?」
「だってこいつ、生きてるんだろ? 本当に埋めんのかよ……? 埋めたら死んじまうぞ!?」
「生き埋めって相当、苦しいらしいな。俺はぜってー嫌だ」
「アホか、誰だって嫌だっつーの!」
(埋めるって……もしかして俺のことか……?)
深雪は眼球だけ動かして周囲を見回すものの、側頭部に残る痛みのせいで、しっかり目が開けられない上に、視界そのものが薄暗い。
ただ、ちょうど地面に横たわった目線の高さに、スニーカーやスポーツシューズなど履いた複数の足が、落ち着きなく足踏みをしているのが見えた。
中でも真っ赤でスタイリッシュなデザインをしたスニーカーが目に留まった。Rのような形の黒と白の特徴的な曲線が赤いスニーカーの両サイドを鮮やかに彩っている。
(これ……人気ブランドのスニーカーじゃないか? ずいぶん新しいな……新品みたいだ)
すぐ目の前に誰かの足がある―――しかも複数。深雪はその事実にドキリとした。思ったよりも彼らは深雪のすぐそばにいたのだ。
幸いなことに、足の主たちは深雪が意識を取り戻したことに気づいていない。輪を作り、ひそひそと何事か相談している。
「ビビってんじゃねーよ。何がなんでも、こいつを埋めるしかないんだ。こいつは行方不明になった奴らのこと、しつこく嗅ぎ回ってたんだ。もしこいつが本当に《死刑執行人》なら、いずれすべて暴かれちまう……そしたら俺たち《リスト執行》されるかもしれないんだぞ!」
「けど……埋めたらこいつ死んじまうんじゃね? んなことしたら、ますます《リスト執行》の可能性が高まっちまうんじゃ……!?」
「バーカ、バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ!」
「でもよ……こいつにも仲間がいるだろ……? いなくなったら探すんじゃねえのか?」
「だから何だよ? 死体が出なきゃ分かりゃしねーよ! 今までだって誰一人としてバレちゃねえんだから!!」
足の主たちは議論が白熱しているらしく、どんどん声が大きくなっていく。すると先ほどのリーダーらしき男が再び仲間たちを牽制する。
「しっ、静かにしろって言ってるだろ! 誰かに勘づかれたらどうする!? この場所がバレたら、その時点で俺たちはお仕舞いなんだぞ!! ごちゃごちゃ言ってないで全員、腹を決めろ!」
「そりゃそうだけどよ……」
「それに……こいつが《死刑執行人》かどうかは関係ねえ。《リスト登録》されようがされまいが、このままじゃ俺たちは殺されるんだ。それを俺たちは、この目で何度も見てきただろう!! 仲間と同じことになりたいのか!?」
「……」
その言葉に仲間たちも黙り込んでしまった。会話の文脈から察するに、彼らには《リスト登録》よりも恐しい“何か”が存在しているらしい。リーダーらしき男は声を潜め、畳みかけるように付け加える。
「いいか、この件に首を突っ込んだのが運の尽きだ。こいつを埋めて、存在そのものを消す。俺たちが助かるには……許してもらうにはそれしかないんだ!! いいか、殺らなきゃ俺たちが殺られるんだぞ!!」
深雪は気を失ったふりをして、足の主の正体を暴くため彼らの会話に耳を傾けた。だが、その内容は深雪に大きな衝撃をもたらすものばかりだった。
(こいつらは誰だ……? 俺の全然、知らない声だ。年齢はおそらく二十歳前後。人数は五~六人くらいで、俺が《死刑執行人》だと知っている……。でも、なぜ俺を襲ったんだ? 俺が行方不明者を調査していることを知っているみたいだけど……まさか《監獄都市》で頻発している行方不明事件の関係者か……?)
彼らは《リスト執行》を極度に恐れている。きっと、それだけの悪事を仕出かしているからだ。その点から鑑みても、彼らが深雪の調べている行方不明と関係がある可能性は高い。深雪を生き埋めにしようとするのも、事件の発覚を恐れているからだろう。
(まさか行方不明になった子供たちは、この少年たちに殺された……とかじゃないよな?)
それにしては彼らの言動はどうにも要領を得ない。少年たちは明らかに殺しに慣れていないし、現に深雪のことも完全に持て余している。彼らが23人もの行方不明者を手にかけたとは到底、思えないのだ。
(どういうことなんだ……?)
他にも気になることがある。それはリーダーらしき少年が口にした、『このままじゃ俺たちが殺される』という言葉だ。
彼らはいったい“誰に”殺されるのだろう。声の主たちは《リスト執行》を恐れているようだが、それ以上に別の“何か”を極度に恐れている。それこそ抵抗する気力も失せるほどに。
それはいったい何なのだろう。
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