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その日の聞き取りを終えた深雪は《ムーンバーガー》の二階へと向かった。聞き取りを行う前後にシロやオリヴィエと合流して、集めた情報をまとめるようにしているのだ。
《ムーンバーガー》の二階はそういう打ち合わせには最適の場所で、深雪とシロ、オリヴィエの三人は空いているテーブルに席を囲んだ。シロとオリヴィエが隣り合わせで座り、その向かいに深雪が腰をかける。
「二人ともお疲れ。どうだった?」
深雪が尋ねると、シロはドリンクのストローから口を離し、嬉しそうに獣耳をはねさせる。
「情報たくさん集まったよ! みんな、いろいろ教えてくれて楽しかった!」
シロは誰とでもすぐ打ち解けてしまうから聞き込みには向いているのかもしれない。ところがオリヴィエは珍しく浮かない表情だ。
「残念ながら、こちらはあまり収穫がありませんでした。どうやら外見で警戒されてしまうようで」
「警戒? どうして?」
「この格好はストリートでの聞き込みに向いていないのかもしれません。話しかけただけで、こう……すすす、と避けられてしまうのです。布教活動や宗教勧誘と間違われているようなのです」
オリヴィエはそう言って肩を落とした。そのはずみで、さらりとした金髪が肩から零れ落ちると、日の光を浴びて金細工のような輝きを放つ。
オリヴィエは黒い神父服を着ているから宗教勧誘と思われても無理はない。ただ、深雪はそれが直接の原因ではないような気がした。
「うーん……それよりは年齢かな? ストリートの子どもはあまり大人に心を開かないから」
「確かに私は成人ですが、二十代なのでストリートの子どもたちと年齢がそう離れていないはずです」
「そうなんだけど……オリヴィエって落ち着いていて背も高いから、ストリートの子供からしたら立派な大人だよ。何て言うか……雰囲気が大人なんだと思う」
「そういうものでしょうか?」
オリヴィエは首を傾げている。深雪の指摘に実感が湧かないようだ。
(俺とオリヴィエも5歳しか離れていないんだよな……そう考えると俺って子供っぽいのかな。オリヴィエにもいつも子ども扱いされてる気がするし……)
実際、自分とオリヴィエの年齢がそれほど離れていないのだと知った時はかなり驚いたし、ひどく衝撃を受けた。自分が年齢の割にひどく幼稚な気がして、少なからず落ち込んだものだ。
その時の衝撃が甦ってきて深雪が複雑な心境でいると、オリヴィエはオリヴィエで微妙な反応を見せる。
「つまり私は老け顔ということでしょうか……?」
「まあいろいろあるよ。うん、気にしないで」
人の悩みはそれぞれだ。今は自分のコンプレックスよりも他にやらなければならないことがある。そう気持ちを切り替えた深雪は、ふと《ブギーマン》の噂を思い出した。
「そういえば、オリヴィエは《ブギーマン》って知ってる?」
「ええ、欧米を中心に知られている妖怪の一種ですよね? 私も子供の頃、修道院でよくシスターに脅されていました。早く寝ないとブギーマンに攫われますよと」
「お化けが来るぞ~、みたいな感じ?」
「そう、まさにそれです」
「ブギーマンは怖い妖怪ってこと?」
深雪がさらに質問を重ねると、オリヴィエは白い手袋を嵌めた手を、端正なあごに添えて考え込む。
「どうでしょう……? 私たちはブギーマンより、どちらかというとシスターを恐れていました。普段は優しい人なのですが、怒るとそれはもう怖くて怖くて……」
「へえ、オリヴィエでも怒られることがあったんだ?」
「それはまあ私も子供の頃はいろいろ悪戯しましたからね……孤児院の子どもたちには内緒ですよ!」
「はは、分かってるよ」
オリヴィエが必死で訴える姿が可笑しくて、深雪はつい笑ってしまった。今のオリヴィエの姿からすると、悪戯をしていたという子供時代はちょっと意外だ。
実を言うとオリヴィエから修道院で育ったと聞いた時には、恵まれない子供時代だったのではないかと危惧していた。ヨーロッパはひどく混乱していると言っていたし、オリヴィエの口ぶりにも悲壮感が漂っていたからだ。けれど楽しい思い出もあったのだろう。
「しかし……そのブギーマンがどうかしたのですか?」
オリヴィエにそう尋ねられ、深雪は慌てて本来の目的を思い出す。
「そうそう、その《ブギーマン》が出るっていう噂が《監獄都市》で広まっているみたいなんだ」
「《ブギーマン》が《監獄都市》で……?」
オリヴィエは子どもたちの間で《ブギーマン》の噂が広まっていることを知らなかったらしく、思いも寄らない話に目を瞬いている。
それを聞いたシロは深雪へと身を乗り出した。
「それシロも聞いたよ。行方不明になっている子を調べてるって言ったら、《ブギーマン》に攫われたのかもねって言われたの」
シロによると、それも一度や二度ではないと言う。《ブギーマン》の噂は子どもの間でかなり広まっているようだ。話を聞いていたオリヴィエは訝しげに眉をひそめた。
「確かに《ブギーマン》は子供を攫うと言い伝えられていますが、あくまで迷信ですよ。実体のない幽霊のような存在なのです」
「でも、何か元ネタがある可能性はあるんじゃないかな」
「元ネタ?」
「何かが《ブギーマン》にすり替わって広まっているとか……ブギーマンの噂が広まりはじめた時期と行方不明者が出始めた時期は、どうやら一致するみたいなんだ」
深雪が言わんとしている事を察したのか、オリヴィエはにわかに目元を引き締める。
「つまり……《ブギーマン》は行方不明の子どもをさらった犯人を指しているのかもしれない……ということですか?」
「ひょっとしたらね。誰かが犯人を目撃して、そんな話が出回ったのかもしれない。もちろん何も関係ない可能性もあるけど、調べてみる価値はあると思う」
《ブギーマン》と失踪事件の間に因果関係があるのかどうかまだ分からないが、今はどんなわずかな手掛かりでも欲しい。もし失踪事件と《ブギーマン》の噂に関連性があるなら、噂の出どころや広がり方から何かが見えてくるかもしれない。そう説明すると、シロとオリヴィエは深雪に賛同してくれた。
「それ面白そうだね! 一緒に調べてみよう!」
「分かりました。万が一ということもありますしね」
「あと別の噂も聞いたんだ。《ブギーマン》は会いたいと願った相手に会わせてくれる、願いを叶えてくれる存在だって」
深雪は《ピンクバニー》のメンバーから聞いた噂を詳細に話した。子どもを連れ去るという従来の話ではなく、願いを叶えてくれる話のほうだ。するとオリヴィエは驚いた様子を見せた。
「そんな話は聞いたことがありませんね。ブギーマンは子どもを連れ去る妖怪であって、願いは叶えてくれません」
「それじゃ、どうしてそんな話が広まってるんだろう?」
「さあ……見当もつきませんね」とオリヴィエも首を捻るばかりだ。
(考えられる可能性としては、《ブギーマン》の噂が広まるうちに《監獄都市》独自のバージョンが誕生した……とか?)
それにしても違和感は残る。『子どもを攫う』ことと『願いを叶えてくれる』ことの関係性が、かけ離れているのだ。徐々に発展して話が大きくなったとか、噂に背びれ尾びれがついたというレベルではない。まったく違う二つの設定を無理矢理くっつけたみたいだ。
(……何か気になるな。《ブギーマン》にまつわる二つの噂がそれぞれどのように広がっているか……それも調べておこう)
それから深雪は最後にシロとオリヴィエに向かって礼を言った。
「ありがとう、二人とも。とりあえず今日、集めたデータは俺の端末に送っておいてくれ」
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