第1話 斜陽

2/2
前へ
/96ページ
次へ
 やがて(リュイ)家と(パイ)家の当主は、執拗(しつよう)に内部抗争の企てを口にする蛇水(シャスイ)に閉口した様子で、そそくさと(ヘイ)家邸を後にする。これ以上、蛇水と関わって、(ホン)家や(ホワン)家から目をつけられたのでは、たまったものではない。  (ヘイ)家から《東京中華街》の中心部に戻る車内で、緑家と白家の当主はうんざりした様子で会話を交わした。 「やれやれ……あの様子だと蛇水もそう長くはないかもしれんな」 「……気持ちは分からないでもありませんがね。当主として自らの命が長くないとなれば、残された家の行く末を案じるのは当然のことです」 「しかし、あれではただの妄執(もうしつ)ではないか。蛇水が一人で息巻くのは勝手だが、その妄念に巻き込まれる方はたまったものではない。無謀に過ぎるわ」  緑家の当主が迷惑だとばかりに声を荒げると、白家の当主も頷いて賛同の意を示した。 「確かに……蛇水(シャスイ)殿は息子の黒彩水(ヘイ・ツァイスイ)を次期六華主人にと望んでおられるが、現実は厳しいでしょうな。次の六華主人は黄雷龍(ホワン・レイロン)で間違いないと目されています。蛇水どのも床に臥せられてずいぶん経つし、よほどの奇蹟(きせき)でも起きぬ限り、黒家が再び《レッド=ドラゴン》の実権を握ることはないでしょう」 「まあ、かつて実権を握ったと言っても、たった三週間の天下に過ぎなかったのだがな。まったく……あの時は十数年後にこのような事になろうとは、夢にも思っておらんかったわい」  (リュイ)家と(パイ)家の当主は互いに顔を見合わせ、うんざりした様子で溜め息をつく。二人とも蛇水(シャスイ)とは知己の間柄ゆえに、わざわざこうして見舞いに訪れたのだが、両家共に(ホン)家や(ホワン)家を敵に回すほどの余裕があるわけではない。  ただでさえ緑家と白家が蛇水と接触するのは危険なのだ。紅家と黄家は間者を使い、他家の動向を常に監視しているのだから。  一方、緑家と白家の当主が立ち去った(ヘイ)家では、黒彩水(ヘイ・ツァイスイ)が義父である蛇水(シャスイ)に呼び出されていた。 「この出来損ないが! 今すぐ紅神獄(ホン・シェンユイ)を暗殺してこい! 何のために泥舟と化した(ズー)家から拾い上げ、飼ってやってきたと思ってる!? 脳なしの穀つぶしめ!!」  しかし、黒彩水も蛇水の八つ当たりには慣れているため、消沈することも激高することもなく、冷静に反論する。 「そうは申されましても、父上。(ホン)家にもゴーストで構成された優秀な戦闘部隊がおります。我が(ヘイ)家の私設部隊では、とても彼らを下すことなどできません。そもそも次期六華主人が選出されようとしているこの時期に、下手な動きに出るのは得策とは思えませんが」 「何だと……!?」 「みなが神経質になっているタイミングで事を起こせば、次期六華主人を擁立(ようりつ)しようとしている家が真っ先に疑われます。即ち、(ホワン)家と我が(ヘイ)家です。圧倒的な権勢を誇る黄家から、我が黒家が勝利を得ることは難しい。紅神獄(ホン・シェンユイ)を殺したところで、ますます立場が悪くなるばかりです」 「何を言うか! たとえ卑怯な手を使い、相手を(おとし)めてでも勝利を手にする……そうしなければ生き残ることなどできぬわ!!」  蛇水は興奮したように声を荒げるが、彩水は冷ややかに指摘するのだった。 「その『卑怯な手』を用いるのにも人手がいるのですよ、父上。暗殺や戦闘はもとより、情報戦、工作活動。我が(ヘイ)家の有する人員では、どんな戦略を選ぼうとも(ホワン)家に対抗できません。それほど彼我(ひが)の戦力差は開いているのです」 「ええい、この臆病者が! それ以上の泣き言など聞きたくないわ!!」  蛇水はそう大喝(だいかつ)すると、すぐに激しく咳きこむ。彩水はすかさず寝室に常備している水差しからコップに水を汲み、蛇水に差し出した。  ところが蛇水(シャスイ)は近づいた彩水(ツァイスイ)の顔を、痩せこけたその手で力いっぱいに殴りつけたのだった。 「……」  辛うじてコップをひっくり返さずには済んだものの、かわりに彩水は思い切り頬を殴打(おうだ)される。蛇水はそれだけでは飽き足らず、さらに罵声(ばせい)を浴びせるのだった。 「いいか、よく聞け! 今のままでは黒家は(ホワン)家と(ホン)家によって間違いなく潰される! このまま手をこまねいていれば、我々は劣勢に立たされるばかりだ! それなのに……貴様には危機感がないのか!!」  「ですから、父上。先ほども申し上げましたように……」 「黙れ、この無能が! ……やはりお前は(ヘイ)家の人間ではない。血の繋がりのない、よそ者にすぎぬのだ! どんなに教育してやっても、どれほどひとつ屋根の下で共に暮らそうとも、雑草が梅の木にはなれぬように、お前は永遠に黒家の人間にはなれぬのだ!!」  そして蛇水は勢い余ったかのように激しく咳きこみはじめる。小さく丸まり、痙攣(けいれん)を起こしたように咳を続ける、痩せこけた老人の背中を見降ろしつつ、彩水は蛇水には聞こえないほどの小さな溜め息をついた。 「……あまり興奮なさると病状が悪化するばかりですよ、父上」 「わしの……わしの息子が生きていれば……! 本当の彩水が生きていれば……!!」 「……」 「これが……この黒蛇水の最期だというのか……!? 何ひとつ野望を果たせず、病魔に侵され、床に伏し、このようなみすぼらしい家の中で一生を終える……こんな惨めで無様な有りさまが、このわしの最期だというのか……!!」  蛇水は(うめ)くように吐き捨てると、がくりとうな垂れ、とうとう低く嗚咽(おえつ)を漏らした。そばに彩水がいようが、お構いなしだ。蛇水にはもはや無様な姿を(さら)したくないという自尊心すら残っていないのだろう。彼に残っているのは(ヘイ)家を再興し、大望を果たしたいという妄執(もうしつ)にも似た感情だけだ。  彩水はそれ以上、蛇水に声を掛けることなく、寝室をあとにする。そして陰気な空気の充満した薄暗い廊下を歩きながら、胸中で独りごちた。 (やれやれ……《壁》の外から招いた《客人》の処遇(しょぐう)について判断を仰ごうと思ったのだが……あの様子ではまともな理性など残ってはおるまい)  ここ最近の蛇水は、彩水の目からすると、ずいぶん精神的に不安定になっているようだ。彩水を呼び出しては八つ当たりをし、駄々っ子のように喚き散らす。時には自らの悲運を嘆き、時には(ホン)家や(ホワン)家への怨嗟(えんさ)を撒き散らして、最後にはすすり泣きをはじめる始末だ。そんな元気すらない日は、こんこんとただ眠り続けている。  今年に入ってから蛇水の病状は日に日に悪化し、回復の兆しはまったく見えない。 (次期六華主人が選出されるまで、俺の後ろ盾として生きていてもらわねば困るが……それも難しいかもしれんな。あの哀れな老人はもう先が長くない。それも考慮に入れ、あらゆる事態を想定して動かねばならん)  彩水(ツァイスイ)は冷ややかな瞳の奥でそう考えると、そのまま黒家を後にする。彩水にとって義父である蛇水(シャスイ)は、あくまで目的を果たすための道具であり、互いに利用しあう関係に過ぎない。親子の情と呼べるものなど持ち合わせてはいないし、蛇水にも期待していない。  一方、黒家邸の二階にある寝室に一人残された蛇水(シャスイ)は、薄暗い寝所の中でまるで幽鬼のごとく髪を振り乱し、瞳に狂気ともいえる光を爛々(らんらん)と輝かせていた。 「わしはこのまま死ぬのか……? こんな(みじ)めで情けない死に方をするしかないのか……!? いや、ならぬ……ならぬぞ! このまま死んでたまるものか! せめて黒家が復興するのをこの目で見届けるまでは、たとえ死んでも死にきれぬわ!!」  その頬はげっそりとこけ、顔色はどす黒く、目はどろんと血走ったまま、何かに憑りつかれたかのように一人、ブツブツとつぶやき続けるのだった。  
/96ページ

最初のコメントを投稿しよう!

45人が本棚に入れています
本棚に追加