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第2話 孤児院での炊き出し
一年を通して気温が低い《監獄都市》の夏は、さすがに軽く汗ばむ程度には暑い。それでも、外の世界でいうところの六月初旬の気温しかないが。
その暑さも納まってきた晩夏のある日、深雪はオリヴィエに孤児院の行事に参加しないかと頼まれた。近々、教会で大きな催し物があるのだが、人手が足りないのだという。そこで深雪はシロや火澄、そして琴原海を誘って孤児院を訪れることにした。
ほかにも《ニーズヘッグ》の亜希や銀賀、静紅。《龍々亭》の神狼や鈴華にも声をかけてみたところ、全員参加するという返事があった。
オリヴィエの頼みとは、孤児院で定期的に行っている炊き出しの手伝いだった。
当日は気持ちが良いくらいの快晴で、孤児院の厨房には、白い割烹着に三角巾という恰好をした神父やシスター、ボランティアが協力して料理の仕込みをしていた。
深雪も頭にはバンダナ、白いエプロンに白いマスクという姿で、厨房の外で野菜の皮むきに取りかかっていた。そして皮むきを終えて真っ白になった玉ねぎを、ザルに入れて厨房へ持っていく。
「カサンドラさん、頼まれていた玉ねぎの皮むき、終わりました!」
深雪が声をかけると、恰幅の良いシスターがコンロの上の大きな寸胴鍋をお玉でかき回しながら、こちらを振り返る。
「ああ、お疲れさま!」
「むき終わった玉ねぎ、どうしたらいいですか?」
「そこの調理台の上……まな板のそばに置いておいておくれ。そうそう、ありがとね。あとで私たちが刻んでいくから」
深雪がシスター・カサンドラに言われた通り、調理台に玉ねぎの入ったザルを置くと、今度はオリヴィエが声を掛けてきた。オリヴィエもエプロンやマスクをつけて、覗いているのは目元だけだ。
「手伝ってもらってすみません、深雪。どうしても人手が足りなかったもので……助かります」
深雪は笑って答える。
「いいよ、気にしないで。今日は休みだし、オリヴィエには火矛威が意識不明だった時に何度もお見舞いしてくれて、ずいぶん助けられたし」
「それこそ気にしないでください。大変な時は相互扶助の精神が大切ですから」
「はは……相互扶助か。難しい言葉を知ってるんだな」
深雪がオリヴィエに感謝しているのは本当だ。あの時は火矛威の意識がなかなか戻らず、火澄も精神的にかなり参っていた。火澄は火矛威と二人だけの家族で、他に頼れる人もいないから、オリヴィエの助けは本当に有り難かったのだ。
(それにしても……オリヴィエって日本語が堪能だよな)
相互扶助という言葉を知っているくらいだから、日常会話は何の支障もないレベルだ。オリヴィエは《監獄都市》に派遣される前は、世界各国を巡っていたという。フランス出身らしいが、英語も話せるし、語学全般が堪能なのだろう。
深雪はたくさんの人が忙しく働いている厨房に目をやりつつ、オリヴィエへ話しかける。
「孤児院の炊き出しって、こんな大規模にやってるんだ。俺、知らなかったよ」
今回の炊き出しで用意するのは豚汁とカレー、牛丼、そしておにぎりだ。炊き出しのメニューとしてはスタンダードなものばかりだが、いかんせん量が多い。厨房に四つあるコンロはフル稼働で、ひと抱えもある大きな鍋がずらりと並んでいる。
オリヴィエも厨房を一瞥してから微笑んだ。
「ええ……《監獄都市》では生活に困窮している人々が大勢います。この教会や孤児院は困っている人々を受け入れていますが、あまり馴染みがないため、近寄りがたく思っている人も少なくありません。ですから、足を運びやすくしてもらうためにも、こうして年に何回か炊き出しを行っているのです」
「そうなんだ。参加者はやっぱり子供が多いの?」
「いえ、この炊き出しの主な対象はストリートの子どもですが、年齢の高い若者や大人も受け入れていますよ。年齢に制限は設けていませんから、基本的には来るもの拒まずで、誰でも参加できます」
「ゴーストとか人間とか関係なく?」
「ええ」
「すごいな……けっこう好評なんだ?」
「近所の住民も参加されますし、毎年の催しなので楽しみにされている方もいます。ちょっとしたお祭りみたいな、和気あいあいとした雰囲気ですよ」
「へえ……」
深雪は相槌を打ちつつ考えた。
(ここに奈落がいたら『信者獲得のための小細工だ』とか、そりゃもうバッサリと言っちゃうんだろうな……)
オリヴィエは神父だが、強引な宗教勧誘をしているところは見たことがない。この催しも半分は信者を集めるためかもしれないが、半分はボランティアだろう。それはそれでいいのではないかと深雪は思う。
(それに孤児院には子どもがたくさんいるから、聞き込みもしやすそうだし……)
深雪が炊き出しに参加したのは、オリヴィエの厚意に報るためというのがひとつ。もうひとつは孤児院の子どもたちから情報収集するためだ。
この《監獄都市》ではストリートの子どもが頻繁に行方知れずになるのだと、深雪はある事件を通じて知った。だが、どれくらいの子どもが、どれくらいの頻度で行方不明になるのか。その詳細は誰も知らないという。
《監獄都市》では大勢の人が一度に亡くなるような凶悪事件がたびたび起きるため、行方不明のような小さい事件は、その陰に隠れてしまうのだ。
だから深雪は行方不明者の実態を調べてみようと思ったのだ。ストリート=ダストはもちろん、それ以外の子どもたちから話を聞くためにも、こういった集まりはうってつけだと思ったのだ。
(今はまだ仕込みで忙しいけど、折を見て尋ねてみよう)
その時、厨房から味噌の香ばしい匂いが漂ってきた。どうやら豚汁が完成したらしい。すると匂いにつられてか、イタリア人神父のレオナルドが姿を現した。
ハチミツ色の頭髪にグレーがかったライラック色の瞳、口元とあごに髭が生えた巨漢の神父だ。それが料理の匂いにつられて厨房にやってくるさまは、まるで蜂蜜に吸い寄せられる熊のようだ。
「お、こいつはいい匂いだなあ……クリス、その豚汁を一杯、俺にもらえないか?」
クリスと呼ばれた小柄なシスターは、のそのそと鍋に近づくレオナルドに渋い顔をする。
「何を言ってるんですか、バルベリーニ神父。この豚汁は炊き出し用ですよ?」
「ケチケチするなよ、一杯くらい良いだろう? 俺が味見をしてやるって……な?」
「だから駄目ですって! ノア神父もレオナルド神父を止めてください~!」
シスター・クリスに助けを求められたオリヴィエは、お玉を手につかつかとレオナルドに歩み寄る。そして腰に両手を当てて、まなじりを吊り上げた。
「レオナルド神父、炊き出しが始まるまで我慢してください。それに大きな体で狭い厨房をウロウロされると、正直言ってすごく邪魔です」
「うるせえ! 体がでかいのは生まれつきだ。だいたい今食おうと後で食おうと、胃の中に入っちまえば一緒じゃねーか!」
「またワケのわからないことを……その理屈で言うと、レオの好物のワインもいつ飲んでも同じことですよね? 今日飲んでも明日飲んでも同じなら、明日まで我慢しますか?」
オリヴィエはいたって真剣な表情だが、まるで幼稚園児へのお説教みたいな口ぶりで、深雪は思わず笑ってしまう。
ところがレオナルド神父も幼稚園児レベルの反論をしてみせる。
「おいおい、明日までワインを我慢したら干からびちまう! 俺はどうやって水分を補給すればいいんだ?」
「水を飲めばいいではありませんか、水を! そもそもレオナルド神父はワインを飲みすぎです! この街でお酒を手に入れるのがどれほど大変か……神父もご存知でしょう!?」
ますますヒートアップするオリヴィエの説教に、カサンドラの援護射撃が加わった。
「そうですよ、神父。飲んだくれなんて金はかかる、身体も壊すし、子どもたちにも悪い影響を与えるし……良い事なんてひとつもありゃしない!」
「やれやれ……ノア神父と言い、シスター・カサンドラといい、俺の周りは母ちゃんばっかりだな」
「神父が私の子どもなら、今ごろとっくにフライパンでお尻叩きの刑ですよ!」
シスター・カサンドラが手にしていたお玉を、ぺしぺしと左手に叩きつける。サーカスの調教師が鞭を片手に熊を調教するような迫力に、さすがのレオナルドもたじろぐ。
「わ……分かった分かった! まったく……シスター・カサンドラには敵わねえよ」
オリヴィエとカサンドラにやり込められ、レオナルドはそそくさと厨房から逃げ出していく。
「なんだか大きな子どもみたいな人だなあ……」
深雪があきれていると、ちょうど厨房から退散するところのレオナルドが、こちらに気付いて瞳を見開いた。
「おっと! お前さんは確かええと……」
深雪の顔は覚えているものの、名前が思い出せないのだろう。しきりと頭を捻るレオナルドに、オリヴィエが近づいてくる。
「彼は深雪ですよ、レオナルド神父。以前にも孤児院で会ったことがあるでしょう?」
「おお、そうだった! いや、顔はちゃんと覚えていたんだが、日本人の名前は覚えにくくてなあ」
「こんにちは、レオナルドさん」
「深雪、お前、相変わらずひょろひょろしてるな。ちゃんと飯、食ってるのか?」
「ええ、まあ……」
深雪は苦笑する。確かにレオナルドとくらべたらモヤシみたいに見えるだろう。
「しかし、少し雰囲気が変わったな。最初に会った時はこう……風が吹いたらどこか飛んでいっちまいそうだったが、今はちゃんと地面に根を張っている感じがする」
レオナルドにそう言われ、深雪は目を見張る。そんな言葉をかけられるとは思ってもみなかった。
「……そう見えますか?」
「ああ、良いことだと思うぞ。今日は炊き出しの手伝いに来てくれたのか?」
「はい、オリヴィエに誘われて」
「よしよし、殊勝な心がけだな。汝に神の祝福があらんことを」
レオナルドは右手で十字を切り、深雪の頭をワシワシと撫でると、中庭のほうに去っていく。深雪はぐしゃぐしゃになった頭のバンダナを直しながら、レオナルドの大きな背中を見送った。
「ははは、一連のやり取りを見せられたあとだと、ありがたみが半減するんだけど……」
「すみません、深雪。見苦しいところを見せてしまって」
オリヴィエは我が事のように詫びる。オリヴィエやシスターに叱られるレオナルドだが、子どもには人気があるようだ。今も手伝いのできない小さな子どもたちに囲まれ、一緒に遊んでとせがまれている。
「面白い人だね。子どもたちに好かれるのが、何となく分かる気がするよ」
「ああ見えて、レオナルド神父の子どもたちに対する愛情は本物です。できるならもう少し、あのいい加減な性格を改善し、酒を飲む量も減らしてもらえたら言うことは無いのですが……」
「あの様子じゃ、ちょっと難しいかもね」
オリヴィエもレオナルドを認めてはいるのだろうが、生真面目なオリヴィエのことだ。レオナルドの良く言えば寛容、悪く言えばいい加減なところは、どうしても反りが合わないのだろう。
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