第2話 孤児院での炊き出し

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 深雪が苦笑していると、カサンドラが声をかけてくる。 「ちょっと手が空いてる人はいないかい? ニンジンの皮むきを手伝ってもらいたいんだけど……」 「あ、はい! 俺やります!」 「そうかい、悪いねえ。それじゃ頼むよ」  深雪が手を挙げると、カサンドラから山ほどの人参が入ったカゴを手渡された。 「それじゃオリヴィエ、また後で」 「ええ」  オリヴィエと別れた深雪が山のようなニンジンを抱えて(グラウンド)に出ると、そこでは琴原海(ことはらうみ)鈴華(リンファ)神狼(シェンラン)とシロの四人が揃ってジャガイモの皮むきをしていた。  段ボールや木箱、プラスチックケースに腰かけ、包丁片手に額を突き合わせて、ひたすらジャガイモの皮を剥いている。深雪が近づくと、さっそく鈴華が気づいた。 「あ、雨宮くん。玉ねぎの次はニンジン?」 「俺もみんなと一緒に作業していいかな?」 「もちろんいいよー! はい、どうぞ!」 「ありがとう、シロ」  シロは深雪に座っていたプラスチックケースの半分を譲ってくれた。他に腰を落ち着けるところもないので、その厚意に甘えさせてもらうことにする。  厨房では次々と料理が完成しているらしく、豚汁のほかにもカレーの香りが漂ってきた。その匂いに琴原海やシロは顔を(ほころ)ばせる。 「なんだか厨房から良い匂いがしますね。お腹が空いてきちゃった」 「シロたちも、ご飯食べていいのかなあ?」 「あとでオリヴィエに聞いてみよう。たくさん作ってるから、俺たちの分もあると思うけど」  みなが和気あいあいと作業をする中、神狼(シェンラン)はただ一人、やたらと深刻な表情でジャガイモの皮むきをしていた。必要以上に前かがみになり、包丁を持つ手も小刻みに震えている。そんなに神狼に深雪は呆れてしまう。 「神狼は相変わらず料理が苦手なんだな……」 「だよねー。刃物を扱う作業はたいてい器用にこなしちゃうんだけど、料理となると手が止まっちゃうのよねー。ほんと不思議」  神狼の不器用具合は見慣れた光景なのだろう、鈴華は軽快に笑った。そういう鈴華は食堂の娘らしく、手慣れた手つきでジャガイモの芽を取り除いていく。深雪は神狼を気遣って声をかけた。 「神狼、俺が代わりにやろうか?」 「……」 「神狼? おーい」  返事がないので大声で呼びかけると、神狼は血走った目で深雪を睨んだ。 「……うるサイ! 話しかけるナ、気が散ル!」 「そこまで怒らなくてもいいだろ!」  完全に八つ当たりじゃないか。俺はただ手伝おうと思っただけなのに。深雪が唇を尖らせていると、シロも神狼と同じようにしかめっ面をしていた。 「ううう、ジャガイモの芽が取れない……シロ、この作業苦手!」 「シロもか……二人とも肩に無駄な力が入りすぎだよ」  シロも日本刀の《狗狼丸(くろうまる)》を自由自在に振り回すのに、包丁だと難しく感じてしまうのだろう。悪戦苦闘するシロに海が助け舟を出した。 「シロちゃん。私が芽を取るから、雨宮くんのニンジンの皮むきを手伝ったら?」 「え、本当!? いいの、海ちゃん?」 「私、こういう作業は得意だから」  海はそう言って微笑んだ。事務所の外でもひどく緊張していたり、苦痛を感じている気配はないけれど、深雪は念のため尋ねてみる。 「そういえば琴原さんは大丈夫? 気分悪くなってない?」 「今のところは大丈夫です。この間、《ニーズヘッグ》の皆さんのところへ連れて行ってもらった時も平気だったし、外に出ることに少しずつ慣れてきているんだと思います」  一週間前、深雪は琴原海を連れて《ニーズヘッグ》の拠点を訪れた。その時も海は少しだけ緊張していたものの、パニックに陥ることもなく、《ニーズヘッグ》の事務所に到着した。そして亜希たちと楽しいひと時を過ごしたあと、無事に事務所へ戻ることができた。海も少しずつトラウマを乗り越えているのだろう。  するとそばで会話を聞いていた鈴華が声をかける。 「ねえ、海ちゃん。今度うちの店にもいらっしゃいよ。サービスしとくから!」 「《龍々亭》に? ええ、行ってみたい!」 「鈴梅(リンメイ)ばあちゃんにも会いたいし、みんなで行こうか」 「シロも一緒に行く!」  そんな会話を交わしていると、シスター・クリスが近寄ってきた。 「あの~、ジャガイモの皮は剥けましたか?」 「あ、はい!」と海が答える。 「まだ少し残ってるけど、ボウルに入っているものは芽が取ってありますよ」と鈴華。 「わあ、ありがとうございます~! それじゃ、こっちは厨房に持っていきますね!」  クリスは慌ただしくジャガイモを持ち去った。あの様子ではニンジンを催促(さいそく)されるのも時間の問題だろう。深雪はニンジンの皮むきを急ぐことにする。するとシロが深雪の手元にあるピーラーに気づいて首を傾げた。 「ねえ、ユキ。さっきから思ってたんだけど……それ何?」  どうやらシロはピーラーを知らないらしく、興味津々(きょうみしんしん)に覗きこんでいる。 「これはピーラーっていうんだよ。こうやって使うんだ」  深雪がピーラーを使って見せると、シロは自分も使ってみたいと言い出した。シロは見よう見真似(みまね)でピーラーでニンジンの皮を剥くと、ぺろんとむけた橙色の皮に顔を輝かせる。 「うわあ、これ、すごいラクチンだね!」 「便利だけど、れっきとした刃物だから手元には気をつけてね」 「うん!」  シロと接していると時々、こういう事がある。深雪が当たり前に知っていることを、シロが知らないことがあるのだ。シロは《監獄都市》の外に出たことがないから、知識に若干の(かたよ)りがあるのだろう。  やがてコンロに並べられた巨大鍋に深雪たちが下ごしらえした具材が投入され、厨房には瞬く間に良い匂いが充満する。料理の匂いにつられたかのように、孤児院の庭に続々と人が集まってくる。大人やお年寄りもいるが、やはり子どもの姿が多い。中には近所の住民たちの姿も見受けられ、ちょっとしたお祭りのような雰囲気だ。  深雪たちは手分けして完成したおにぎりや豚汁を紙の器に盛りつけ、次々と配ってゆく。その頃になると《ニーズヘッグ》の亜希(あき)銀賀(ぎんが)静紅(しずく)、そして火澄(かすみ)が手伝いに加わり、炊き出しは一気に忙しくなった。  深雪と火澄はカレーライスの係になった。深雪が米を盛った器に火澄がカレーのルーをかけ、鍋の前に並んでいる人々に配っていく。 「火澄ちゃん、久しぶりだね。火矛威(かむい)の様子はどう?」  深雪は作業の合間に火澄に声をかけた。とは言っても週に二回は火矛威の病室に通っているから、一週間ぶりだ。この間、見舞いに行った時には、近々退院できそうだと火矛威は嬉しそうに話していた。 「お父さん、だいぶ元気になったよ。ご飯もよく食べるし、ずっと意識が無かったのが噓みたい! でも……」  急に言い(よど)んだ火澄が気になって、深雪は尋ねる。 「……何かあったの?」 「あたし、ちょっとお父さんと喧嘩しちゃって……」 「喧嘩? どうして?」 「それがあたし……本格的に《ディナ・シー》に入ろうかと思ってるんだ」  《ディナ・シー》は火澄が身を寄せているストリートチームで、メンバーには女の子が多く、荒事とは縁のない大人しいチームという印象だ。 「《ディナ・シー》の子たちと火澄ちゃん、仲が良さそうだったもんな」  深雪はそう頷く。ところが火澄は怒りと悲しみがない交ぜになったような顔で続ける。 「だからチームの紋章刺青(エンブレムタトゥー)を入れようと思ってお父さんに相談したら、お父さんってばいきなり怒り出して『絶対、許さないぞ!』って言うの。《ディナ・シー》に入るのはいいけど、刺青(タトゥー)を入れるのは駄目だって……ワケが分かんないよ!」 「あ~……」  深雪はすぐにその理由に思い至った。二十年前は刺青(タトゥー)に対して世間一般の抵抗感が強かった。銭湯の入浴場も刺青(タトゥー)を入れた人はお断りされるところが多かったから、火矛威にもその感覚が残っているのだろう。 「刺青(タトゥー)は一度入れたらなかなか消すことが出来ないから、慎重(しんちょう)になって欲しいんじゃないかな?」 「それは分かるけど……紋章刺青(エンブレムタトゥー)はチームメンバーの証だよ。ファッション刺青(タトゥー)とは全然違うもん。それにお父さんだって蛇の刺青(タトゥー)を入れているのに、お父さんは良くて、あたしは駄目って……それってヘンじゃない?」  火澄は納得がいかないらしく、まだ怒っているようだ。火澄のもっともな指摘に深雪も苦笑するしかない。  そもそも《中立地帯》のゴーストたちに根付いている紋章刺青(エンブレムタトゥー)を入れる風習は深雪たちが作り出したもので、火矛威の腕にも《ウロボロス》の紋章刺青(エンブレムタトゥー)が入っている。 「火矛威の言っていることは矛盾しているけど……それが親心なんだと思う。火矛威はきっと火澄ちゃんに自分の身体を大切にして欲しいんだよ」 「そうなのかな……?」  深雪は火矛威の気持ちを代弁(だいべん)してみるが、火澄は()に落ちないといった表情だ。  深雪はご飯を盛りながら、ふと思い出す。 (そういえば……火澄ちゃんの血縁上の父親は、《アラハバキ》の総組長である轟虎郎治(とどろきころうじ)の息子、轟鶴治(とどろきかくじ)だって話だったな)  彼の本名は雨宮御幸(みゆき)だという。それが本当であれば、轟鶴治は深雪と同じ、《雨宮=シリーズ》のクローン体の一人だということになる。 (だとすれば、俺と火澄ちゃんの関係はどうなるんだ? 遺伝子上の親子ってことになるのか……?)  ただ、遺伝子上の関係がどうであろうと、火澄の父親は火矛威だ。深雪は自分との関係を火澄に打ち明けるつもりはないし、火矛威に告げるつもりもない。ただ、火矛威はそれとなく気付いているかもしれないが。 (火澄ちゃんには俺と同じ能力(アニムス)―――《レナトゥス》がある。俺の《レナトゥス》を狙う陸軍の連中は、火澄ちゃんの存在にまだ気づいていない。何があっても彼女の存在は隠し通さないと……!)  もし雨宮や碓氷(うすい)に火澄の存在を知られでもしたら、彼らは容赦なく火澄を捕らえ、連れ去ってしまうだろう。火澄は火矛威とも離れ離れになり、研究所でどんな扱いを受けるかも定かではない。  幸い、火澄に《レナトゥス》があることを知っているのは、深雪や火矛威といった限られた人間だけだ。それに火澄は決してアニムスを人前で使わないよう、厳しく言い聞かせられている。よほどの事がなければ秘密が漏れることはないだろう。 「……雨宮さんはどう思う? やっぱりあたしが刺青(タトゥー)を入れることには反対?」 「そうだなあ……」  火澄に不安そうな瞳を向けられ、深雪は束の間、考え込んでしまう。火矛威の言い分も分かるが、火澄の気持ちも理解できる。深雪も《ウロボロス》の刺青(タトゥー)を入れた時は、チームの一員として認められたようで嬉しかったものだ。 「急がなくてもいいんじゃないかな。《ディナ・シー》の友達は刺青(タトゥー)を入れてなくても、火澄ちゃんを除け者にしたりしないんだろ?」 「……うん」 「俺は火矛威の言い分も分かるから、積極的に刺青(タトゥー)を勧めることはできないけど……火矛威に反対されてもどうしても刺青(タトゥー)を入れたいなら、最後は火澄ちゃんの決めることだと思う。何かあったらいつでも相談に乗るよ」 「雨宮さん……ありがと」  火澄は納得したわけではないものの、いつでも相談に乗るという言葉は素直に嬉しかったようだ。火矛威に怒られ、深雪にも刺青(タトゥー)は駄目だと反対されたらどうしようと、内心では不安だったのかもしれない。どこかほっとした様子だった。
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