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オリヴィエの言った通り、炊き出しは大盛況だった。行列が途切れることはなく、山のように用意されていたカレーや豚汁、おにぎりなどが飛ぶように無くなっていく。あまりの忙しさに目が回るほどだった。
行列が落ち着いた頃、順番に休憩に入ることになり、深雪は飲食スペースでカレーライスを食べることにした。
孤児院の庭にはテントが設置され、その下の長机や折りたたみ椅子を並べた飲食スペースは大勢の人でごった返していた。ゴーストも人間も入り乱れているはずなのに、不思議と何の諍いもない。
(なんだか学校の文化祭を思い出すな……)
ゴーストも人間もみな仲良く、深雪たちが作った料理を美味しそうに食べている。目の前に広がる光景に、深雪はここが《監獄都市》であることを忘れそうになる。そんな平和な光景が成立するのは、孤児院がある意味で特殊な場所だからだ。
街中では同じ人間同士やゴースト同士であっても互いを警戒し、決して心を許すことはない。そうしなければ生き延びることができないのだ。
(こういう光景が当たり前になればいいのに……)
深雪はそう思わずにはいられなかった。多くを望んでいるわけではない。ただ、ゴーストと人が共に生きられるようにしたいだけだ。
炊き出しが終わった後には片付けが待っていた。孤児院の子どもたちや《ニーズヘッグ》のメンバー、シロや海、神狼、鈴華。総出で鍋や調理器具を洗ったり、ゴミをまとめたり、テーブルや椅子、テントを畳んだりしていく。
深雪はゴミの片づけをしながら、気になっていた行方不明者について話を聞いてみることにした。
「そういえば最近、《中立地帯》のストリート=ダストの間で行方不明者が多発してるって聞いたけど……本当なのか?」
深雪がさり気なく尋ねると、テントを崩していた銀賀が訊き返してきた。
「行方不明って? なんか事件か?」
「いや……まだ調査している段階なんだけど、事件性が無いとも限らないから、一度きちんと調べておこうと思って」
すると銀賀とテントを崩していた亜希が口を挟んだ。
「ストリートのゴーストが行方不明になることは珍しくないけどね。《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》が絡んでいることもあるから、全容を掴むのは難しいんじゃないかな」
「確かに《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》が原因の行方不明もあるとは思うけど……《監獄都市》で起きている行方不明事件は、それだけじゃないような気がするんだ」
深雪の言葉に今度は静紅が眉根を寄せる。
「……どういうこと?」
「《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》の恐ろしさは、ストリートの子どもなら誰しも知っている。闇組織につけ込まれる口実を与えるようなチームは生き残れないし、彼らに関わる際はみな用心するし、慎重にもなる。だから俺は行方不明事件の原因が別にある気がするんだ」
深雪は先日、とある事件で関わった、《ガロウズ》と《グラン・シャリオ》というチームのことを思い出していた。二つのチームは互いに行方不明者を捜していたが、消えた子供たちがトラブルを抱えていた形跡はなかったという。
「……言われてみれば確かに問題だよな。《監獄都市》は、とんでもねえ事件が頻発するから、今さら行方不明なんて誰も気にしねえ。それに、この街は閉ざされている上に狭いから、たとえ行方不明だとしても生きてりゃ消息は広まるもんだろ。それが分からないってのは……」
声を潜める銀賀に静紅は渋面を作った。
「……死んでる可能性が高いってこと?」
「それ以外に考えられるか?」
「……」
亜希は何も言及しなかったが、その表情から察するに、事の深刻さは感じているようだ。
「《ニーズヘッグ》にはいないのか? 突然、行方が分からなくなった子って」
深雪が尋ねると、亜希は首を横に振る。
「いや、ウチのチームにはいないよ。危険なことには絶対近づかないように言ってあるからね。もっとも……今まで無かったから、これからも大丈夫っていう保証はないけど」
「子どもばかりが突然、行方不明になるなんて見過ごせない。裏に何か別の事件が潜んでいるなら、なおさらだ。だから、みんなにもできる範囲でいいから調査に協力して欲しいんだ。……どうかな?」
深雪がそう持ちかけると、《ニーズヘッグ》のメンバーは互いに顔を見合わせた。
「別にいいけど……具体的には何をすればいいの?」
「まずは実態を掴みたいんだ。行方不明者がどのチームに何人いるか。性別、年齢、行方不明になった時期……そういった情報を集めたい」
「それくらいなら手伝ってもいいわよ。ストリートで起きていることなら私たちにも他人事じゃないし。ねえ、亜希?」
「そうだね。こっちでも調べてみよう」
「ありがとう、助かるよ」
《ニーズヘッグ》の協力を取りつけたら、まずは第一段階はクリアだ。深雪はほっとする。ストリートの事情を調べるのに、《死刑執行人》の深雪ではどうしても限界がある。これまでの経験から、ストリートのことはストリートの人間に協力してもらうのが一番だと分かっている。
深雪は次に孤児院の子どもたちに声を掛けてみることにした。
「ねえ君たち……友達が突然いなくなったり、行方が分からなくなった子が身近にいるとか聞いたことない?」
すると机や椅子を運んでいた少年二人が不思議そうに首を傾げる。
「いなくなる?」
「よく分からないけど……ブギーマンのこと?」
「ブギーマン……? 何だそれ?」
今度は深雪が首をかしげる番だった。《ブギーマン》なんて言葉は初耳だ。しかし少年たちにとっては常識であるらしく、逆に呆れられてしまった。
「知らないの? ブギーマンは正体不明だけど、真っ黒い姿をしているんだって。そして気に入った子どもを連れ去ってしまうんだよ」
「へえ……君はブギーマンに会ったことがあるの?」
「あるわけないよ。ブギーマンに出会った子どもは連れ去られて、二度と家には帰れないんだ。僕がブギーマンに出会っていたら、ここにはいないよ」
「うーん……都市伝説みたいなものかな?」
その会話を聞いていた火澄とシロがきょとんとして深雪に尋ねた。
「としでんせつ……って何?」
「都市伝説っていうのは不思議な噂話みたいなものだよ。ちょっと不気味で、根拠が曖昧な話が多いイメージかな。古くは口裂け女とか、人面犬とか、トイレの花子さんとか」
深雪は説明するものの、火澄やシロはどうも釈然としないらしい。
「口裂け……? 花子さん? 何それ全然知らない」
「シロも聞いたことない。人面ナントカって何のこと?」
「この時代だと俺の知ってる話は廃れちゃったのかな」と深雪は頭をかく。
深雪の生きていた時代から二十年も経っているので、無理もないと思う。現代には現代の怪談があるのだろう。深雪はそう思ったが、すると近くにいた琴原海が「そんな事ないと思いますよ」と否定する。
「私も詳しくは知らないけど、口裂け女とかトイレの花子さんとか名前だけなら知ってますし、どれも有名な怪談ですよね?」
海が知っているところを見ると、現代にも都市伝説は残っているのだろう。ところが火澄やシロはまったく知らないし、聞いたこともないと言う。
どういうことかと深雪が首を捻っていると、亜希が説明してくれた。
「ストリートの子どもは大きく二つに分かれるんだ。《監獄都市》の外から囚人として送り込まれた子どもと、《監獄都市》の中で生まれ育った子どもにね。《監獄都市》で生まれ育った子は《壁》の外の世界を知らないから、知識に偏りがあるんだ」
「ああ、そういうことか……」
深雪は得心した。要するに《壁》の内と外の間で情報の断絶が起きているのだ。
(そうか……だから火澄ちゃんやシロは都市伝説を知らないのか。人参の皮むきをした時、シロがピーラーを知らなかったように、俺たちにとっては当たり前のことが、シロや火澄ちゃんたちにとっては当たり前じゃないんだ)
こういう時、改めて実感する。《関東大外殻》の内と外では世界がまったく違うのだと。
「でも、あたしもブギーマンの話は聞いたことあるよ。《ディナ・シー》でも一時期、噂になってたもん」
火澄は深雪と一緒にゴミをまとめながら言った。
「やっぱり子どもを連れ去るとか、そういう感じの話?」
「実際にブギーマンに会った子はいないから、ただの噂だって言っている子もいる。《壁》の外から来た子は、そんなの作り話だよって笑ってるけど……」
「火澄ちゃんはブギーマンの噂を信じてるの?」
深雪が尋ねると、火澄は少し考えるような顔をして瞳を伏せる。
「……よく分からないけど、本当に連れ去られるんだったら怖いなって思う」
すると亜希もそれに頷く。
「……そうだね。深雪が調べている行方不明になった子どもと、子どもをさらうブキーマンの噂は、あながち無関係じゃないかもね」
「何よそれ……ブギーマンが実在している上に、そいつが子供をさらってるってこと?」
静紅は気味が悪いとばかりに自分の両腕をさすりながら眉をひそめた。
「あくまで都市伝説だからな、そんな気にすんなって」
静紅の心配を笑い飛ばすものの、銀賀も降って湧いたような《ブギーマン》の噂に気味の悪さを感じているのだろう。その表情はどことなく冴えない。
「ブギーマン、か……」
深雪もその言葉がどうにも気になった。行方不明者を調査しはじめた途端、子どもを誘拐するというブギーマンの噂が浮上した。これは単なる偶然なのだろうか。
(……どうも引っかかるな。行方不明の子どもたちと何か関係があるかもしれない。一応、気に掛けておこう)
深雪はそう心に留め、炊き出しの後片付けに専念するのだった。
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