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そこへシロが駆け寄ってくる。深雪と九鬼が話をする間、路地裏をきょろきょろしながら歩いていたが、二人の会話が終わった頃合いを見て戻ってきたのだ。
「ユキ、お話は終わった?」
「ああ。待たせてごめんな」
「大丈夫。シロ、いい子にしてるよ!」
元気のいい返事とともにシロの耳がぴょこんと跳ねる。彼女が腰に提げている刀剣用のホルスターには日本刀、《狗狼丸》を差している。九鬼もシロに気づいたのか、眉根を寄せた。
「ところで、そのちっこいのは何だ? あんたの連れみたいだが、まさかそいつも《死刑執行人》だって言うんじゃないよな?」
「シロは俺の仲間だ」
「……ふうん? 仲間、ねえ?」
九鬼は面白がるような口調でつぶやくと、不意にサングラスを外した。褐色の肌によく似合う、金色の瞳。その瞳に出し抜けに赤い光を灯らせる。
(アニムスを使うつもりか―――!)
その瞬間、シロも素早く反応した。すっと腰を落とし、踏み込みと同時に腰の《狗狼丸》を抜き放つと、その鋭い刃先を躊躇なく九鬼へと向ける。
「シロ、駄目だ!!」
深雪が叫んだ瞬間、シロはぴたりと日本刀を止める。その切っ先は狙い澄ましたように九鬼の喉元へと突きつけられている。九鬼は両手を上げて降参のポーズを取ると、ヒュウと口笛を吹いた。
「こいつは恐れ入ったぜ。いい反応をしやがる」
そう言う九鬼にも、どこか余裕が感じられる。おそらくシロの一撃を防ぐ自信があるのだろう。深雪はシロと九鬼の間に強引に体を捻じこんだ。
「シロを試すような真似は、たとえ冗談でもやめろ!!」
「悪かったって、もうしない」
九鬼は悪びれもせず、あっさりと詫びた。それを聞き、シロもようやく九鬼から日本刀の切っ先を下げる。深雪はほっとしたものの、九鬼の軽率な行動にムッとして睨んだ。
九鬼のアニムスが何なのか深雪は知らない。ゴーストにとってアニムスを知られることは死活問題でもあるから、九鬼は最初からアニムスを使うつもりはなかったのかもしれない。それでも万が一のことがあればシャレにならないのだ。
九鬼は睨む深雪などお構いなしにサングラスをかけ直すと、思い出したように付け加えた。
「そういえば……《ガロウズ》の頭と幹部は《リスト執行》されたらしいな?」
「……!!」
何故それを知っているのか。深雪がぎょっと身構えると、九鬼は肩をすくめる。
「ストリートではそういった噂はすぐに広まるんだよ。《グラン・シャリオ》のメンバーも今回ばかりは《死刑執行人》に感謝している。俺からもチームを代表して礼を言うぜ」
だが、深雪は九鬼の言葉をとても冷静に受け止めることはできなかった。
「……よせ!」
「あん?」
「……俺は何もしていない。いや……何もできなかった……! 礼を言われる資格なんてないんだ……!!」
《ガロウズ》は《ヴァニタス》で操られただけだと、他ならぬ京極が自身の犯行を認めたのだ。深雪は《ガロウズ》の《リスト執行》を止めるために奔走したが、結局は阻止することはできなかった。京極は《死刑執行人》や《リスト執行》など《監獄都市》を巡る制度の矛盾点を逆手に取り、犯罪の証拠隠滅に利用したのだ。
(《ガロウズ》は《リスト執行》されるべきじゃなかった。どれだけ九鬼や《グラン・シャリオ》が彼らを憎んでいたとしても……《ガロウズ》は京極のアニムスに操られていただけなんだ!!)
だが、九鬼に真実を打ち明けて何になるだろう。今の深雪には京極の犯罪を証明することさえ満足にできないのだ。唇を噛みしめる深雪を見て、九鬼は訝しげな顔をする。
「あんた、本当に変わってるな……そんなに《死刑執行人》が嫌なら辞めちまえばいいじゃねーか」
「これは俺が選んだ道なんだ。もう引き返せすことはできないし……引き返すつもりもない」
「……」
九鬼はビルの壁に背を預け、無言で深雪を見下ろす。何と声をかけるべきか戸惑っているようだ。深雪が何故、追い詰められたような顔をするのか、九鬼は事情を知らない。だから余計に、そんな深雪が奇異に映るのだろう。
これ以上、この話を続けたくなかった深雪は話題を変えることにする。
「最後にひとつだけ忠告しておく……《アラハバキ》には近づくな。どんなに美味い条件を提示されても、最後に待っているのは破滅だけだ。特に上松組の傘下に入るのは絶対に止めておけ。チームを守りたいならな」
その瞬間、それまで一貫して冷静だった九鬼が一変した。全身からただならぬ怒気を発すると、深雪の目の前で仁王立ちする。
「おい……勘違いするなよ。ウチのチームがどこの傘下に入ろうが、あんたにとやかく言われる筋合いはねえ! 今回の情報提供に乗ったのも、あくまで行方不明になった奴らのためだ。あんたのためじゃない! 《死刑執行人》の分際で俺たちの事情に口出ししてんじゃねえぞ!!」
九鬼の態度からは、これ以上踏み込めばただでは置かないという脅迫にも似た気配に満ちている。警告だと言えば聞こえはいいが、そんなお行儀の良さはまるで感じない。
深雪も臆することなく毅然と九鬼を睨み返すと、あくまで静かな声音で続ける。
「ストリートのゴーストにとって《アラハバキ》は無視できない存在だし、最終的に何を選ぶかは《グラン・シャリオ》次第だ。けど……これだけは覚えておいてくれ。あいつらはストリートのゴーストなんて使い捨ての駒くらいにしか思っていない。少しでも危険だと感じるなら距離を置いてくれ。《アラハバキ》なんかに頼らなくても、九鬼ならチームをまとめていけるはずだ」
「……簡単に言ってんじゃねーよ。こっちは生死がかかってんだ」
「そうだな……口を出して悪かった。でも《アラハバキ》は決して九鬼たちを守ってくれる味方なんかじゃない。だから……俺の忠告を忘れないでくれ」
「……」
《アラハバキ》がただの闇組織ならいいが、あそこには京極がいる。関わる人間を不幸の渦に突き落とす悪魔のような男が《アラハバキ》を支配しようとしているのだ。そうでなくとも、《グラン・シャリオ》は上松組の跡継ぎ問題に巻き込まれようとしている。《グラン・シャリオ》には《ガロウズ》の二の舞になって欲しくない。深雪はそう思ったのだ。
九鬼には深雪の忠告など余計なお節介だろう。だが、ここで見て見ぬふりをすれば、いずれ大きな禍根となって返ってくる。
九鬼はそれ以上、何も言わなかった。ただ深雪の忠告がよほど腹に据えかねたのか、乱暴に煙草を蹴りつけると、そのまま踵を返し、無言で立ち去っていく。
深雪も無言で大柄な背中を見送った。彼が深雪の忠告を聞き入れるかどうか、すべて九鬼次第だ。
「シロ、いけないことした?」
シロが不安そうに深雪の顔を覗き込んでくる。深雪と九鬼の雰囲気が険悪になったのは自分のせいだと思っているのだろう。深雪はシロの頭を撫でて言った。
「いいや、九鬼はシロを試したんだ。あれは九鬼が悪い。でも、ちゃんと日本刀を止めたのは良かったよ」
「ユキはきっと『やめろ』って言うと思ったから。えらい?」
「うん、えらかった」
「へへ……!」
シロがニコッと笑うと、頭の上にある獣耳もひょこひょこと嬉しそうに動く。それを見た深雪の顔にもようやく笑顔が戻る。
「さあ、俺たちも行こうか」
「これからどうするの?」
「他のストリートを拠点にしているチームに行方不明者がいないか調べてみよう。今はとにかく情報が必要だ」
「聞き込みってこと?」
「ああ」
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