失われた技術者

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第2話 梅川の宿題 「おつかれさま!」  五時半になったので、まだ仕事をしている遥香に一声かけて、いそいそとデスクを離れ出口に向かう。何の躊躇もなくオフィスを後にする私の背後から、遥香の感情の入らない「おつかれさまでした」の声が響く。  エレベーターホールにはまだ誰の人影もない。  エレベーターは高層階用、中層階用、低層階用と3つの区画に分かれていて、それぞれ四基ずつ配置されている。高層階用区画のエレベーターに一人で乗り込み、一階のボタンを押すと静かに扉が閉まり、私の気持ちが仕事モードから家庭モードに切り替わる。  一階のフラッパーゲートを抜け入館証を鞄にしまい、エントランスフロアに出る。後十五メートル進んでドアの外に出れば、家に向かってまっしぐらだ。  急ぎ足で出口に向かっていると、不吉な人影が現れた。 「グッドタイミング、少しだけいいか」  私の心と正反対の言葉を口にしたのは、秘書室長の梅川正人だった。  六年前にTECGUKのバイスプレジデントから現職に呼び戻された、国際感覚に溢れる高階社長の懐刀だ。グローバル企業への転換を目指すTECGのニューリーダーとして、圧倒的な収益力を誇る国内営業のドンである有永専務と対抗する。  帰国直後に、諸事情から営業本部を離れる決意をした私を、今のポジションに拾ってくれた恩人でもある。  私はしかたなくわざわざ迷惑そうな顔を作って立ち止まる。  梅川は速足で私に近づき、商談ブースを指さしながら早口で言った。 「相談に乗って欲しいんだ。三十分だけ時間をくれないか? 保育の延長料金は私のポケットマネーで出すから」  私の娘が通う保育園は、六時二○分を過ぎると延長料金を支払わなければならない。延長料金は二千円だ。だが延長料金を払うと、その月は何回延長しても追加払いはしなくてもよい。延長すると保育時間は七時二○分まで伸びる。  私の個人事情に気を使っての申し出だが、金の問題ではないので「それはいいです」と断って、膨らむ不安な気持ちを押し殺しながら商談ブースに向かう。  秘書室長らしく気品のある仕立ての香りがするスーツの梅川の背中は、一目で吊るしのスーツと分かる私を従わせるのに十分な貫禄に満ちている。  ブースに入ると、梅川はすぐに本題を切り出す。 「実は特急で調べて欲しいことがあるんだ」 「特急、ですか……」  梅川の頼みはほぼ九割特急だ。わざわざ形容する必要はない。 「これは社運をかけたお願いなんだ」  次代の役員候補と呼ばれている梅川が、いつになく真剣な表情を崩さない。彼の経歴はどこを取っても正にグローバルリーダーと呼ぶのに相応しい。  スタートこそ国内営業だが、TECGUSAマーケティングディレクター、TECGUKバイスプレジデントなど、国際派として誇るべきキャリアを積みあげてきた男だ。  それゆえに同じ国際派の高階社長のブレーンとして、経営の重要課題に携わることが多い。その梅川が社運をかけたなどと口にすると、さすがに聞く方も緊張する。 「私なんかで何とかなるものですか?」  謙遜ではなく本当に心配になって聞くと、そこは相手にされず話は続いた。 「うちは大川電機のライダーの営業譲渡に参加しようとしている」  それはまったく自分の領分ではなかったが、そんなことは梅川は百も承知なはずだ。  怪訝な顔をしている私を、まったく気にすることなく梅川は話を続ける。 「高階さんはこの話をメインバンクの三倉銀行から持ちかけられ、うちの将来を掛けるに十分な話だと判断したんだ」 「ところでライダーって何ですか?」  営業出身者ではあるが、現場から離れてしまった私には、先端技術の話をされてもあまりピンとは来ない。 「LiDARと書いてライダーと呼ぶ。レーザー光を使ったセンサの一種だ。この技術の凄いところは対象物までの距離はもちろん、位置や形状まで正確に検知できる。今後、車の自動運転が本格化してくれば、必要不可欠と成る技術だ。例えば高速道路と違って市街地走行だと、人や建物などの障害物との距離を掴むだけじゃなく、形状や正確な位置関係を正しく認識しなければならない。この精度が従来のミリ波レーダーやカメラより抜群に高いのがライダーだ」 「なんか将来性のある凄い技術であることは分かりましたが、私が駆り出される理由がよく分かりません。私は社史編纂室長ですよ」 「確かに、単なるM&Aなら君に頼むまでもない。ところが、大川社長はTECGだけには営業譲渡したくないと言ってるんだ。理由ははっきりと語らないが、どうやらTECGでは技術は育たないと思っているらしい」 「別に大川電機に拘らなくてもいいんじゃないですか。他にも開発している会社はあるだろうし、自社開発だっていいんじゃないですか」 「確かにうちでもライダーの開発をすることはできるだろう。でもこの営業譲渡をものにしたいのは、ライダーのためだけでもないんだ」  どうも単純な話ではなさそうだが、話が長くなりそうで時間が気に成る。  これ見よがしに腕時計に目をやるが、梅川はかまわず話を続けた。 「高階さんは大川電機の開発マインドを高く評価している。それをTECGに根付かせたいと考えている。特許のような技術成果だけではなく、そこに携わる人が欲しいんだ。その矢先にうちには技術は育たないと言われたんで、かなりショックを受けてしまった」 「いいじゃないですか。他社(よそ)の社長に何を言われようと、当社(うち)にだって世の中を動かすような商品を、世に送り出したことはあるじゃないですか」 「VHSビデオや薄型ブラウン管テレビのことか?」 「そうですよ。大ヒット商品だったじゃないですか」  梅川はじっと私を見つめた。 「ところが高階さんはそうは思ってない。うちの技術開発は、既に時代を代表する商品を生み出すためのマインドを、失ったと思っている」  国内トップレベルと社内外に謳っている開発陣へのダメ出しは、私の興味を大いに引いた。時間が気に成るところだが、持ち前の野次馬根性も顔を出し始める。 「すいません。少し話が見えないんですが、もう少し具体的に教えてもらえませんか」 「そうだな、今の時代パソコンはほぼ一家に一台のペースで普及しつつある。スマートフォンなら場所を選ばず手軽にWEBアクセスが可能だ。何が言いたいかと言うと、昔では考えられないぐらい簡単に誰もが情報を入手し、発信ができるんだ。つまり誰でも興味さえあればその道の通になれる」  それは分かる。娘の理央も家のパソコンから必要な情報をどんどんゲットしている。その結果好きな分野では、既にミニ評論家の風である。 「しかしそのことと、うちの技術開発が何か関係するんですか?」 「うちの事業スタイルを考えてみてくれ。まず適当な新技術を含んだ商品を開発する。その良いところを圧倒的な宣伝力と営業力で消費者にアピールして、その結果ヒット商品が生まれていく。VHSビデオなんかその典型的な商品だ」  確かに商品としての出来は、ライバルだったベーターの方ができが良かった。事実映像のプロはVHSよりベーターを好んで使った。 「しかし三倍速や五倍速の長時間録画など、消費者にアピールする要素は多かったと思いますが」 「そうした点を強調して消費者を誘導する。情報量の少ない古い時代のやり方だ。そういう時代じゃなくなったんだ、今は」 「それは先ほどのネットの評論家の影響ですか?」  まだ話は見えていないが、昔のやり方が通用しなくなってきたという考え方は何となく分かった。 「そうだ。もはやネットに潜む素人の評価が、消費者だけではなく、雑誌や家電量販店の売り子にまで影響を与えている。そういうところで評価される商品を開発しなくては売れない時代なんだ。そしてその評価はメーカーイメージまで形作り、多方面に影響を与える」 「だったら、そういう商品を開発すればいいじゃないですか」 「今の当社(うち)はプライドばかり高くて、ユーザーが熱望しているテーマに挑戦しない。ネットの中の評論家はメーカーのご都合主義を見抜くのが実に上手いから、それを小賢しいと酷評することに力を注ぐ」 「じゃあどうすればいいんですか?」 「発明するということの原点に戻るのさ。これは高階さんの言葉だが、電話を発明したエジソンやベル、飛行機を発明したライト兄弟、自動車に人生を掛けたダイムラーやベンツ、目にしたら誰もが無条件で未来を夢見る商品だ」 「そんな、どれも世紀の大発明じゃないですか!」 「そう、今の当社(うち)の姿勢では不可能だろう」 「開発陣にその気がないなら、どうしようもないじゃないですか」 「その通りだ。だから大川電機なんだ」  梅川は自信満々に言い切ったが、どうつながるのかさっぱり分からない。 「大川電機に何があるんですか?」  そう聞くと梅川は今日初めて厳しい表情が緩んで、時折見せる少しいたずら好きの少年っぽい表情を見せた。 「君は何年生まれだ?」 「一九七七年ですが」 「それじゃあ子供のころに科学技術の進歩をSF的に夢見た時代じゃないな」  話の先が消えない。困った顔をしていると梅川が先を続けた。 「我々の子供の頃は二一世紀には人類が月に都市を作って移住するとか、海底に都市を作って居住空間が何百倍にもなるとか、車は全て自動運転でそこら中を駆け巡り、石油は廃止になり原子力で全てのエネルギーを無尽蔵に得られる、なんて話に目を輝かせたものだ」  そう言えばそんな話を信じてた時代もあったという。 「一種のドラえもんですね」 「そうだドラえもんだ。その夢を実現しようと、科学の道に突き進んだのが我々の世代とも言える」 「そういう奴は私の頃にもクラスにけっこういましたね」 「それが我が国の科学者の原点なんだ。彼らを動かしてるのは金でも名誉でもなく、単にそういう時代の担い手になりたいという思いだけなんだ」 「しかし今は社内にはそんな技術者はいなそうですね」  私は思わず開発ノルマに追われた同期入社の技術者の顔を思い出した。 「その通りだ。うちにはそんな気風はとっくに無くなっている」 「もしかして大川電機にはそういう技術者がたくさんいるんですか?」 「いるなんてもんじゃない。技術者全員がそうだ」 「どうしてそうなるんですか?」  経営問題なのでこれまで小声で話していたが、あまりにも突拍子のない話に思わず声が大きくなった。だいたい今の時代に夢に向かって突き進むなんて信じられない話だ。 「大川社長の力だよ。あの人は本気で子供のころの夢を追う人らしい。そういう強烈な個性で技術力も高いとなると、周りも強い影響を受けるようになる」 「じゃあ大川社長がいないとダメじゃないですか」 「そうだ。だから高階さんはこの営業譲渡を機会に、大川社長にうちの社外取締役になってもらい、技術陣の意識改革リーダーになってもらおうと考えた」 「いいんですか。社外のトップにうちの技術情報が筒抜けになりますよ」 「そこはうちと大川電機の体力差がものを言うし、リスクを冒しても得るものの方が、遥香かに大きいと私は思う」  今の言葉でこの件は高階の思いに引きずられてるのではなく、梅川が高階に強く推してそれに賛同されたのだと気づいた。  梅川の説明で問題は理解したが、なぜ私にこの話をするのかはまだ分からなかった。それにも増して大川社長をここまで買っているうちを、当の本人が嫌っていることが不思議だった。高階社長は嘘を言うような男ではない。業界の中でも誠実な社長だと評判も高い。 「不思議ですね」  思わずそう呟くと、梅川がニヤリと笑った。 「そうなんだよ。不思議だろう。私はこう思ったんだ。大川社長は今のうちを信じられないのではなく、うちの会社の過去に対して不信感を抱く何かを見出したんじゃないかと――」 「もしかしたらその原因を調べろと言われてますか」  いくらなんでもこの振りはきつい。荷が重すぎる依頼を断ろうとすると、 「時間がないんだ」と言葉を遮られた。  いつもこれだ。まあ、梅川ほどの男がわざわざ自分に依頼するとしたら、普通じゃないことは当たり前なのだが。 「どうしてそんなに急ぐんですか?」 「大川社長の意向が社内に広がったら、有永専務にこの話を潰されかねない」  どうやら社内事情も影響しているようだ。 「分かりました。調べてみますけど、あまり期待しないでくださいよ」  正直今の話を聞いても私の知る限りの知識ではそんな過去のエピソードは記憶にない。しかしそんな私に追い打ちをかけるように梅川は言った。 「できるだけ早く結果を出してくれ」  人の話を全く聞いてない。梅川の一方的な通告に私は一気に滅入ってしまった。  時計を見るともう六時を過ぎてる。 「おっと急がなくては――」 そう呟いてから、「とりあえずやってみます」と、梅川に断って席を立った。  エントランスを出ようとした時、黒いレクサスが車寄せに滑り込んできた。有永専務の社用車だ。私は仕方なくエントランスの前で待機した。  助手席から同期入社の長澤丈晴が下りてきて、運転手を制して有永専務のために後席のドアを開ける。二人はエントランスから入る時に、私とその後ろに立つ梅川を一瞥して役員用エレベーターに向かった。  専務の有永真治は高階に次ぐ社内のNO2で、TECG国内営業の最高責任者だ。国内最強の営業力を誇るだけに儲けに対する執念は凄まじい。  有永の最大の功績は、創業者の作った町の電気屋さんによる高倉連合を惜しげもなく捨て去り、量販店と連携した販売体制を一早く確立したときにあった。前専務の懐刀として辣腕を振るったのは、この有永自身だった。  この栄光の系譜の最短距離にいるのが、昨年史上最年少で営業第一部長に昇進した長澤だ。営業時代に私は長澤とライバルとして競ったこともあったが、最早意識する必要のない差が二人の間には存在する。もちろんまったく気にならないが。
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