strange love

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私が驚いたのは、男の人が泣いていたからじゃない。泣いているその男が、見知った男だったからだ。 彼は、私の通う高校の一学上の二年生の先輩だった。 夜の九時、ファミレスでのバイトを終えた私は駅からの帰り道で彼を見つけた。 道に蹲っている男が私の足音に顔を上げ、大きな瞳に涙を浮かべたままこちらを見つめた。頬に流れ続ける涙。 私は驚いて足を止めてしまった。 「どうしたんですか」 彼のことは、学校中の皆が知っている。容姿端麗で成績優秀、先生からも一目置かれる程の存在で、ファンクラブのようなものまで存在する。絵に書いたような有名人だ。 だけど私は違う。平凡な顔に平凡な成績。先生から特別目をかけられている訳でもなく、かと言って目をつけられている訳でもない。ただ目立たない、物語で言えばモブのような存在。 それなのに、気安く声を掛けてしまった。自分は彼を知っているからと。きっと彼は私の顔も名前も分かりはしないのに。 「家に帰りたくないんだ」 涙声で彼は言った。私の安易な問い掛けに彼が素直に答えてくれたことが嬉しくて、私はまた尋ねた。 「どうしてですか」 「姉が結婚するんだ」 彼にはモデルのように美しい姉がいると、その噂もまた有名だった。その美しい姉が結婚することが、彼にとっては良くないことなのだろうか。 「嬉しくないんですか」 「嬉しくないよ。悲しい」 チラリと彼の足元に目をやると缶チューハイの空き缶が転がっていた。今補導されてしまったら困ると考えた私は、彼に手を差し出した。 「すぐ近くに公園があるんです。そこに行きませんか」 彼は大きな瞳を潤ませたまま、迷子の子供のような心許ない視線を向けて、私の手を取った。 夜の九時過ぎの公園は静かで、私達以外誰も居なかった。冷えたベンチに腰を下ろすと、真上で煌々と輝く月を見上げた。 「今夜の月は綺麗ですね」 「涙で滲んで、よく見えない」 隣を見ると、小さな横顔が一生懸命空を見上げていた。なんていじらしいのだろう。 「お姉さんを愛しているんですか」 「……どうして?」 彼が私を見つめる。涙を垂れ流しにしたままの子供のような瞳と目が合った。 「なんとなく。そんな気が」 「君は、おかしいと思う?」 「いいえ」 彼の瞳が揺れる。涙の粒が次々に大きな瞳から溢れて、それらはきらきら光って小さな宝石のようだった。 「姉を愛しているのに?」 「だめなんですか?」 「だって、こんなの、許されない」 「一体、誰に?」 「親や、世間に」 「許されないといけませんか?」 「……分からない」 彼はそうぽつりと零すと、震える唇を噛み締めた。 「血は繋がってないんだ」 「そうなんですか」 「うちの親は再婚で、姉は母の連れ子だった」 「そうですか」 「それでも、許されない……だろ?こんな思い」 「どうでしょうか。私は先輩のご両親でも、ましてや世間でもないので、分かりませんが」 「……倫理的に間違ってる」 「そうなんですか」 「そうだと思わないか?」 「分かりません。縁を切ったらどうですか」 「え?」 「ご両親と」 「……え?」 「そしてお姉さんと遠い地で暮らせばいいです」 「いや、姉は結婚することが決まって……」 「連れ去ればいいですよ。閉じ込めて一生一緒に暮らせば」 「……そこまでは考えてない」 「なんだ」 「君は、おかしいね」 「そうですか」 「奇妙だよ」 「初めて言われました」 彼が何をどう決意したのか、それとも決意しなかったのか、私には分からなかったが、彼は私に向かって一度頷いた後涙を拭って立ち上がった。 「ありがとう、さよなら」 そう言って去っていく背中を見つめながら腕時計に目を落とすともう十時にもなろうとしていた。早く帰らなければ。家でおいしい食事が待っている。 ♢ 真夜中の二時。男が、背中の向こうで避妊具を処理している。その汗をかいた背中に指をつけ、背骨をなぞると、くすぐったいのか、男が小さく笑った。 「……お兄ちゃん」 「うん?」 「倫理とお母さんお父さんそれに世間と私。何が一番大事?どれが一番重要?」 「お前以外何も重要じゃないよ」 兄の言葉に私は安堵の笑みを零す。 やっぱり、愛とはそういうものなのだ。私達の奇妙なる愛。だけどどこまでも純真なもの。そこに何かが介入する隙など一ミリもない。許しも助言も必要ない。私と兄以外、お互いの存在以外、何も要らないのだ。 「愛してるよ」 今日も、血の繋がった兄とまぐわう。明日もきっとそうする。その先の未来もずっと、私はそうする。そのことの重要性が、それ以外何も重要じゃないという事実が、あの子供のようなあどけない瞳をした彼にいつかわかるだろうか。
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