きみと 逃避行

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「…こわいんだ、歌えないかもしれない」 「わたしも、聴くのが怖い」 思い出しちゃうから、 二人の言葉が重なって、思わず顔を見合わせて笑った。 おんなじだね。 この人の実体験のうたを、同じくらい大切に思っている人がいたんだよ。 それはね、わたしや、大好きだった彼だけじゃないんだよ。 ラブソングを歌えなくなってしまっても、別に生きていけるし、ラブソングを聴かなくたって、別に生きていける。 でも、誰かを想ってうたったことは、ずっと残るんだ。 「…大好きだった?」 「…本気で、好きだった」 「うん、わたしもだよ」 「どうして別れたの?」 「好きな人ができたって、振られちゃった」 「…俺と一緒だ」 あの歩道橋で出会えた偶然を、このまま偶然で終わらせたくないな、と思ってしまった。 願わくばいま隣にいるきみが、またラブソングを歌えるようになってほしいと、そう思った。 きみが誰かを想ってうたう音楽は誰かの心にずっと残り続ける。 そのたいせつをずっと、なくさないでいてほしい。 「聴くのこわいんでしょ?」 「思い出しちゃうからね」 「じゃあ、一緒に歌う?」 ポロン、とギターの弦を彼の指がたどった。 それはあの音楽の始まりだ。 弦をはじいた手を見つめればそこはかすかに震えていて、それに気づいて彼を見ればこっちを見てへたくそに笑っていた。
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