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会社の同期
始業のチャイムと同時に谷川はパソコンを起動し、前日に出された社員たちの交通費の申請を確認する。毎日の作業だが、100件前後はある申請のうち何件かには必ず入力ミスがある。間違いを発見したら、申請者に電話し、修正を指示して申請画面の差し戻しボタンを押す。
谷川は入社以来3年間、経理を担当している。配属されたときは地味な仕事で面白味がないと思っていたが、好みはともかく几帳面な彼の性格には合っているようだ。
社員の入力ミスはこれでもかなり減っている。彼が入社したときはあまりに誤入力が多く、先輩の近藤と相談して差し戻しになった申請の内容を3ヶ月ほど集計し分析して、「よくある質問」としてマニュアル化した。社内ではかなり好評で、今でも「重宝してるよ」という声を貰っている。
コーヒーを飲みながら、谷川は申請画面を開いては内容を確認し、承認ボタンを押していく。視線の動くルートはもう決まっている。
機械的にマウスをクリックしていた指を止め、谷川はしばらく画面を凝視した。下高井戸駅から赤羽駅へのルート……この申請内容はあまりにも不自然だ。
谷川は受話器を取って4桁の番号を押す。もう、嫌というほど押した番号で、指が覚えてしまっている。
営業第二課ですと、聞き慣れた、しかし顔は知らない女性の声が応答する。
「経理の谷川です。檜山さんいますか?……あ、替わらなくていいです。こっちに来るように言ってください……いえそんな、仕事なんで……はい、お手数かけます。失礼します」
受話器を置くと思わず溜息が漏れる。はす向かいに座っている近藤が思わず吹き出した。
「またなの?」
「毎度衝撃的で……慣れないですよ、まったく」
数分後、バタバタと慌ただしい気配がして、同期で営業課の檜山が乱入してきた。ちょっとした動きすら騒がしいので、「乱入」という言葉がぴったりなのだ。
「おお、谷川。電話した?」
谷川は椅子に座ったまま相手を睨み上げた。
「俺が電話したら、理由はだいたいわかってるだろ」
檜山はきょとんとしている。外回りでうっすら日焼けした顔は高校生みたいな感じがする。
「何?」
脱力しそうになるのを谷川は必死で耐えた。
「この前も言っただろ。この交通費の申請!」
ディスプレイを指し示したところで檜山が察する訳がない。
「下高井戸から赤羽に行くのに、どうして東京メトロに乗る必要があるんだ!」
「あっ……それ?」
檜山はきまり悪そうに頭を掻いた。
「えーっと……都営の新宿三丁目に行っちゃって……階段昇ったら副都心線の新宿三丁目駅があったから……池袋まで行って、そこから埼京線に乗った」
「埼京線は新宿駅から乗るんだよ。行き過ぎたなら新宿三丁目からJR新宿駅まで歩け!」
「歩けるの?」
「歩ける!お前さあ、副都心線の池袋駅からJRの池袋駅までもかなり距離あるぞ」
「そっかあ」
こどものような反応に、谷川のイライラは増幅していく。早く話をつけて、こいつを追い出したいと思った。
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