転落

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「へえ~、檜山くんってあんな見た目と性格なのに、COSMETICシリーズにハマってるんだ」  不思議そうに呟く近藤の手には、COSMETICボールペン全50色の中で一番の売上げを誇る、「ミッドナイトブルー」が握られていた。人気があるために1.0mmから0.3mmまで4種類の芯径が売り出されている。今の子は手紙でなくてスマートフォンでコミュニケーションを取っているのだろうが、COSMETICシリーズの売上げは維持されていた。COSMETICはプラスチックや写真への乗りが良いという特徴があり、ある雑誌で100円ショップのスマホケースにデコるという企画を掲載したところ大きな反響があった。このため、シラトリも急遽「COSMETICのカラーがより映える」デコレーション用スマホケースを販売することになったくらいである。 「私も好きなのよ、COSMETIC。ミッドナイトブルーはオバサンでも使いやすい」  ちょっと自虐的に言いながら卓上カレンダーに予定を書き込む。ほとんど黒に近いブルーの線に、細かな銀色のラメがキラキラ光っている。インクの鮮やかさとラメのメリハリが、他社には無いCOSMETICの美しさと言える。  すこし仕事が途切れた午後、近藤と何の気なしに新商品の話をしていて、檜山のことをつい口にしてしまった。 「檜山くん、営業成績良いみたいじゃない」 「そうなんですか?」  つい食いついてしまった谷川の顔を見て、近藤はちょっと笑った。 「彼と同じ係の鈴木さんが言ってたのよ。新規契約取って来るんだよねーって。意外に記憶力が良くて、商品が売れてる店のディスプレイを覚えてて、ほかの店に提案したりしてるんだって。あんなノリだから官公庁には行かせないようにしてるみたいだけど」  確かに、檜山が出してくる発注書は1件あたりの額は少ないが、とにかく取引先の数が多いという印象だ。街の小売店やショッピングセンターをくまなく回っているらしい。ネット通販で気軽に購入できるとはいえ、単価の低い文具はまとめ買いでも無い限り店で手に入れる人も多いだろう。文具専門の小売店はめっきり姿を消しているが、販路は開拓できるのだ。檜山は新しい取引先を探し出すのが得意らしい。  発注担当になってからはじめて檜山の名前が記入された発注書を見たとき、10種類ほどの筆記用具が2箱ずつ注文されていたので、なにかミスをしているんじゃないかと問い詰めてしまった。檜山がしどろもどろに説明したところによると、ある書店で売場の一部を文具スペースにしてみたいがいきなり多くの商品は入れられないしどうしたら良いだろうとの相談があり、1ヶ月くらい通って話し合いオフィス街にある立地を生かし、すこし値の張るボールペンやシャープペンシルを並べてみることにしたという。 「売れてるのか?」 「売れてるよ~。今度置く商品を増やそうかって話してる」  電話の向こうの檜山は、はにかんだような声だった。  ……そんなことがあってから、谷川は檜山の仕事ぶりをすこしは信用することにしたのだ。
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