心に蓋

1/5

699人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ

心に蓋

 経理の仕事は出張とはあまり縁が無く、3年間で両手にちょっと余るくらいだろうか。今年度は決算資料の作成を任されるようになり、商品の在庫を保管している都外の倉庫を回るので、急に出張が多くなった。在庫確認が夕方までかかればいちおう直帰して良いことになっているが、忙しい時期なので結局会社に戻って残業している。  オフィス家具を保管する都外の大型倉庫に行ったときは、朝から現場に入って作業に丸一日かかった。飛び乗った快速列車の車内アナウンスが聞き慣れた駅名を流す頃には、窓を照らすオレンジ色の夕日がだいぶ弱くなっていた。  乗り換えのために谷川はターミナル駅の広い構内を歩いていた。ふだん営業を捕まえて合理的な経路だとかこの駅とこの駅の間は徒歩にしろなどと言っているが、いざ自分で歩いてみると理屈と実際とは違うなと思う。社内規程で決まっていることなので好き勝手な経路を認めるわけにはいかないけれど、もう少し優しい態度で接するべきだと谷川は反省した。  しかし檜山の出してくる申請書は……やっぱり優しくできない。  急に檜山のことが頭に浮かび谷川は気恥ずかしくなったが、自分の妄想がたくましくなったためでもないらしい。というのは、すこし前を歩く後ろ姿に気がついたからだ。くせっ毛でちょっとカールした襟足。最近ようやく買い換えたビジネス用リュックサック。檜山だ。  あの散らかった部屋で探し物をした日から半月以上経っていたが、その間に檜山と接点はなかった。声をかけるつもりはなく、谷川は背中を見つめたまま距離を保っていた。背後から観察していても、彼が常に視線を動かして落ち着かないのがわかる。これでは目標を見失って違う路線の電車に乗ってしまうのも道理である。しかし、なぜそんなにもきょろきょろしているのか。  檜山がいきなり足を止める。すぐ後ろを歩いていたサラリーマンがぶつかりかけ、舌打ちする。そりゃそうだよな、通路のど真ん中だ。谷川は壁際に寄って、檜山の視線の先を追った。反対側の壁に画用紙がたくさん貼り出されている。駅周辺に住む小学生が描いたのだろうか、鮮やかな色彩で鳥や魚が描かれている。駅員は忙しい勤め人の癒しの場にしようとこんなところに絵を貼ったのかもしれないが、誰の目にも止まっていない……檜山を除いて。谷川も帰路を急いでいたから、檜山の後ろを歩いていなかったらきっと気づかなかっただろう。  檜山は人の流れに逆らって通路を横切ると、絵の前に立ってしばらく眺めていた。一見くたびれたサラリーマンのようだが、その目はむしろ輝いているようだった。やはり檜山は色彩に溢れたものが好きなのだろう。こどものときにラメ入りボールペンに憧れた感性を残したまま大人になったのかもしれない。  いきなり檜山が振り返った。  目がばっちり合ってしまい、谷川は逃げ出したくなった。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

699人が本棚に入れています
本棚に追加