心に蓋

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 絵に描いたようなオフィス街を抱えたシラトリ本社の最寄り駅と違い、この駅の周辺は地元住民のための商店街と小さな会社や工場が混在して下町風情を漂わせていた。  夕方で活気のあるアーケードの中に小さな文房具店があった。檜山は慣れた様子で店内に入る。 「あら、檜山さん」  若い女性が奥から出てきた。無地のエプロンを着けていて、どうやら店員らしい。小柄で可愛い雰囲気がある。 「ちょっと上の部屋を見たいんだけど、今空いてますか?」 「いいですよ。どの部屋にします?」 「じゃあ、いちばん広いところ」  女性は壁のキーボックスから鍵を出して檜山に渡した。 「いちばん使われてるのは小さいお部屋なんですよ。檜山さんの勧めで防音にしたでしょ?喫茶店ではやりにくい打ち合わせができるって好評なんです」 「この辺の喫茶店は噂好きなおばちゃんが必ずいるからなあ」  ふたりはちょっと笑った。谷川は小学生用の学習ノートの棚を眺めるふりをしながら、彼らの様子をうかがっていた。  しばらく世間話をしていると客が入ってきて、女性はその相手を始めた。檜山は谷川を伴い自動ドアのすぐ脇にある階段を上がる。 「あのひとがここの店長なの?」 「違うよ~。店長は70代くらいかな。気難しい感じのおじいちゃん」  ずいぶん親しげにしてたじゃないかという言葉を谷川は飲み込んだ。かまをかけて檜山が動揺する姿を見たいわけではなかった。  2階の廊下にはドアがいくつかあった。そのうちのひとつの鍵を開けた檜山に促され、谷川は中を覗いた。10畳ほどの部屋には、シラトリの人気商品である繋げて大きさを変えられるテーブルがふたつに分割して置かれ、その周りにスタッキングできる椅子を並べている。テーブルは青みがかった白、椅子の背は鮮やかなオレンジ色である。 「ここ、もともとは売場だったんだけど、売上が落ちちゃって縮小したんだよ。で、そのあとを生かせないか~って相談されてて、店の客に個人事業主や在宅ワークしているしてるひとが結構いるみたいだって聴いて、レンタルオフィスを提案してみたんだよ。おじいちゃんはちょっと渋ってたけど、商店会の若いひとたちも賛同してくれてさ~。実際に在宅ワークしてるひとから意見を聴いて作ったんだよ」  半年くらい前だろうか、確かに檜山が提出した発注書には数種類のオフィステーブルと椅子が記載されていた。どこかの企業で新しく会議室をつくるのだろうと軽く考えて処理していたが、彼はビジネスだけで割り切れないことをしているのか。 「……ほら、谷川は家具が好きだって言ってたから、ぜひ見てもらいたいと思ってさ。まあ、小さな仕事だけど……」  檜山は自信のないような表情で谷川に視線を向けた。 「俺はこういう仕事、良いと思うよ」  上手く言葉が見つからなかったが、谷川は本心から思っていることを口にしたつもりだった。せっかく檜山が連れてきてくれたのに、こういうときに不器用な自分が悔しかった。  それでも、嬉しそうに目を細める檜山の姿に下手な褒め言葉が伝わったのだと安堵した。
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