心に蓋

4/5
699人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ
 何だかんだで小一時間ほど寄り道したことになる。18時過ぎのホームはちょうど電車が行ってしまったばかりで、人影はまばらだった。とはいえ帰宅ラッシュの時間帯なので、5分程で次の便が到着するようだ。 「こんな時間だし、直帰しても良いんじゃないか」 「そうか?でも谷川は会社戻るんだろ」 「仕事があるから」 「ふーん」  檜山は薄闇に沈んだ線路にしばらく視線を向けていた。 「そうだ。この前旅費のマニュアル作ってくれただろ?」 「ああ……そうだったな」  澤井課長にあれこれ言われてすっかりおじけづいてしまい意識の外に追いやっていたが、そんなものを檜山に渡していたのだ。 「あれ、重宝してるよ~。最近、お前から電話来なくなったし」  確かに檜山に電話をしなくなった。そうか、あのマニュアルが功を奏したのか。しかしそれはそれでなんだか寂しいような気がする。 「後輩たちにも見せてるよ。わかりやすいってみんな言ってる」 「おい、それって……澤井課長から貰ったやつじゃないだろうな」 「え~?」  檜山は首をかしげた。 「それに決まってるじゃん。色々書き込みされてて便利」 「……っ!」  あの書き込みは檜山に向けてのもので、ほかの人間に見られていい内容ではない。しかし元はといえば照れ隠しのために澤井課長に託してしまった自分が悪い。檜山に直接渡して釘を刺すべきだったのだ。谷川は穴があったら入りたい気分になった。  電車の到着を知らせるアナウンスが流れる。 「谷川」  檜山の声がすこし低くなったように感じた。 「好きだよ」  ホームに侵入した電車の音で半分かき消されながらも、谷川の耳には確かにそう聞こえた。  慌ただしくドアが開き、数人が谷川と檜山の間を縫うように下車していく。発車のメロディが鳴り、谷川は乗車しなければいけないことに気がついた。檜山も影のようについてきて、ふたりの背後でドアが閉まった。  時間が時間なだけに満員といってよい状態で、谷川は檜山に 体を寄せなければならなかった。目を合わせられないまま電車に揺られる。心臓の高鳴りが喉の奥でばくばくしていて、聞かれたらどうしようと気が気でなかった。 「どうして急に……そんなこと言うんだ」  上ずった声で谷川は訊ねた。 「別に急にじゃないよ。前から好きだよ」 「馬鹿、人前でそんなこと言うな」  慌てて遮ると、檜山は不満げに黙った。  電車が次の駅に止まる。降車する客がかなりいて、谷川はいちどホームに出なければならなかったが、檜山もぴったりくっついてくる。うっとうしいが、この混雑では逃げることもままならない。ちらりと檜山の目を見ると、訴えるような視線を向けてくるので、思わずうつむいてしまった。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!