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週末の休暇申請をしそこねているうちに結局金曜日になってしまった。澤井がもたらした情報によると、ホワイト、レッド、オレンジはもともと人気があるので、全ての販売先がすぐに決まった。イエロー2セットは件のジューススタンドの別店舗で購入したいとのありがたい申し出があった。グリーン1セットは谷川の提案を採用してエントランスのディスプレイになった。谷川はイエローとグリーンならより鮮やかなイエローを推したのだが、広報は人目を惹くことよりも全体の調和を重視したらしい。
結局、イエロー2セット、グリーン1セット、椅子が1脚足りないものが5セットが残り、F**市の関東配送センターに戻されることになった。運の悪いことに、谷川は帳簿の確認のため金曜日に急遽このセンターに行くことになっていた。センターの経理担当者はいい人なのだが、センター長が狷介で扱いが難しい。シラトリの代表取締役の実弟で、皆持て余し気味に定年を待っている。センター長が暇で仕事に絡んで来たら面倒だなと思いながら、谷川は電車を乗り継ぎ1時間かけて配送センターに向かった。
配送センターとは要するに巨大な倉庫で、シラトリのオフィスファニチャーから文房具に至るまで在庫を管理して取引先に運搬しているのだ。郊外とはいえ23区からも程近いF**市にこれだけの施設を有しているのは税金もかかるし大変なことである。
センター事務担当の梅村が伝票類を準備して待っていた。30半ばくらいの温厚そうな男性である。
「今日は運が良いですよ。センター長にお客様が来てるのでこっちには来ません」
「それはよかったです」
谷川はさっそく仕事に取りかかったが、センター長の部屋から甲高い声が漏れてきて落ち着かない。だいぶ興奮しているようだ。谷川も些細なことでひどく叱責されたことがあり、その語気の強さよりもむしろ不本意さに腹がたったことがあった。梅村はこんなところで長年働いていてよく心を病まないものだと感心する。それとなく訊ねてみたことがあるが、話半分どころか三分の一程度しか聞かないようにしているのだという。
時計を見ると、怒鳴り声が始まってからゆうに30分は経過している。よくもまあエネルギーが持続するものだ。
「あんな剣幕だと、脳の血管が切れちゃうんじゃないかと思いますよ」
谷川が目を通した書類を片付けながら、梅村が言う。
「そうなったら大変ですね」
「まあ、ここの社員はみんな一度くらいそうなってほしいと思ったことあるんじゃないですか」
穏やかな話しぶりなのにいきなり飛び出した毒に谷川はちょっと驚いた。梅村は澄ました顔で帳簿を整えている。
仕事の妨げになるので聞き耳をたてないようにしていたが、声が大きいのでどうしても単語を認識してしまう。誤配かなにかをして、行き場のなくなった商品をそれをセンターに返送したのが気に食わないらしい……どこかで聞いたような話である。
「だいたい、梱包剥がして中身の一部を出しちまったのをこっちに戻して新しいのを入れて包みなおしてくださいはないだろ。そっちで戻せよ」
「……ですから、工場からは一度配送センターに戻すように指示されたんですよ。在庫管理上そうしてほしいと、システム部からも言われています」
谷川は手を止めた。今の声は澤井課長じゃないか。やはり、例のリラクゼーションチェアの件なのか。
「馬鹿、そんな無駄なことできるか。もっと合理的にできるだろうが」
「それはそちらの処理の問題でしょう」
センター長の方が公的な役職としても役員との私的な関わりからしても営業第二課長よりずっと権力があるのだが、澤井も簡単には引こうとしないようだ。
ドアの開く音とともに甲高い声が廊下に響いた。
「おいっ、梅村いるか?」
「はいはい、出番ですね……っと」
梅村は立ち上がり、部屋を出て行った。
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