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ほぼ入れ替わりで檜山と梅村が戻ってくる。
「澤井課長、用事があるって行っちゃいましたよ」
「そこで会いました。残念だなあ、愚痴聴いてもらおうと思ってたのに」
「梅村さん、課長と飲むんですか」
梅村は意味ありげな笑みを浮かべた。
「ここは陸の孤島みたいなものですからね。毎日変わりばえしなくて息が詰まる。外のひとが来ると捕まえたくなっちゃうんです」
なんだったら梅村も誘おうかとも考えたが、詳しい事情は知らないだろうから迷惑かもしれない。谷川はすこし憂鬱な気分になりながらも、残りの仕事を片付けた。
「檜山、帰るぞ」
ジャケットを羽織り声をかけると檜山はちょっと不安そうな目で谷川を見たが、そのままついてきた。
「もう5時だから、直帰しよう」
「わかった……」
陸の孤島とはよく言ったもので、30分に1本来るバスで20分ほどかけて駅に向かう。梅村によれば徒歩でも1時間弱ほどでつきますよということだったが、まさか歩くつもりはない。こんなところで道に迷ったら遭難してしまう。
バスはひどく揺れるうえテニス帰りのマダムたちがお喋りしていて、会話をする気にはなれない。檜山もいつものようにきょろきょろしている様子はなく、黙って窓の桟を眺めているようだった。
バスを降りるとあたりはすでに薄暗くなっていた。空いている上り列車の席に座って谷川はようやく踏ん切りがついた。
「澤井課長からお金貰ったんだよ。これで美味いもの食べに行けってさ」
自分から誘っているのではなく、あくまでも澤井課長の勧めということにしておきたかった。
「俺、飲みに行きたいなあ」
まあそうだろうなと谷川も思う。しかしこんな状態では、店で眠りこむかトイレに籠もるかの二択になることは間違いない。周囲の冷たい視線を浴びながら檜山を連れて帰るのかと谷川は憂鬱になった。しかし澤井への義理もあるし、今も碌に目を合わせずぼんやりしている檜山を放っておくことはできないような気がする。せっかく心に蓋をして距離を取っていたのに、こんなことをしていたらまた世話を焼きたくなってしまいそうだが、今回ばかりは仕方がない。
「檜山の部屋で飲むのはどうだ?」
「ええ~?」
檜山は嫌そうな顔をした。
「ほら、自分のうちだったら、眠くなったらそのまま寝られるだろ?」
「まあ、そうだけど……散らかってるよ」
「それはいつものことじゃないか」
檜山はしぶしぶといった感じで頷いた。
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