祈りと呪い

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祈りと呪い

 五月。  夜、仕事の帰り、近所の家の各部屋と玄関に煌々と明りが灯っている。近くの空き地に車が四台駐車していた。  妻は、死んだんじゃないの、とつぶやいた。  翌日、仕事はオレ一人だった。終わって帰ると、例の家の玄関に、提灯が灯っていた。家の主が亡くなったのである。そうじゃない。セクハラのクソエロジジイが死んだ。  帰宅して話すと、あれから十年になる、と妻はいった。  十年前。  妻が仕事場に来て言った。  エロジジイが、近所だからといって、追いかけてきて、断る妻を無理に車に乗せて仕事場まで送ったというのだ。誘いに乗って車に乗る妻もどうかしている。  その後、真夜中に、これから行くからやらせろ、なんてセクハラ電話をかけてきた。  それから、何度も深夜に電話が来たが、電話には出なかった。  警察に連絡したが、対応した警官は、 「自分も、しょっちゅう嫌がらせ電話をされてる。過去に逮捕したヤツだが、何もできないのだ」  と言い、オレの話を聞こうとせず、相手にされなかった。  しかたないので、オレは呪った。  しかしながら、呪いも相手を思うことだから、ある面、思いやりだ。恨まれるヤツほど長生きすると世間は言う。まさにこの理屈に当てはまる。  そこで、オレは、くたばれエロジジイ、と呪った。  その後、はたと気づきエロジジイが、神としての修行を行うように祈った。  こう言うと、なんと高貴な祈りをしたのだろうと一般人は考えるだろう。そう考えるのは、世俗の慣習的に毒された考えを鵜呑みにしている場合だ。  さて、一般人が仏門に入り、雲水となって修行をする姿を見た記憶がある人は、修行がいかに大変かよくわかるだろう。日々、考え、悩むことの方が、簡単にくたばることよりはるかに苦行だ。  オレは、クソジジイがそういう修行をするように祈った。  その後、クソジジイの家のそばを歩くたびに、くたばれクソジジイとオレは思っていた。  祈りは思いを形にすることだ。口に出せば大気に疎密波の振動が伝わり、聞こえる。その意味で形になる。文字に書けば見える。  それに対し、思うのは自由だ。思いの中で何をしようと許される。そして、思いは形にならない。だから、思いは祈りにはならない。黙祷は祈りにならない。  世俗の慣習にどっぷり浸っている者たちは、思うことで祈っていることになると思っている。大まちがいだ。  だが、そんなことはどうでもいい。祈りの実態を説明しても、実行しようと考える者などいないからだ。  一年後、オレの仕事場の隣で火災が発生した。野次馬の一人としてクソジジイが来ていたので、これまでの深夜の電話や、断るオレの妻を無理に車に乗せたことなど話し、今度、同じことをしたら、いつでも家にのりこみ、かつ、役所に勤めている息子にも掛け合うぞ、と言った。これぞ、凄まじい祈りだ。  クソジジイは火事場からソソクサと消えた。その行動は自身のセクハラ行為を認めた結果だった。  その後。クソジジイはオレたちを見かけると、オレたちの視界からソソクサと逃げさった。  そして、近所の住民から、クソジジイが過去にもセクハラ電話したり、民家に忍び込んで夜這い的行動をした挙句、家人に見つかり、二階から飛び降りて怪我し、外科病院に通院した過去があったのを知った。  最初の嫌がらせから、九年が過ぎた頃、遠目にも、クソジジイの姿を見なくなった。  同じように嫌がらせを受けた近所の人が、クソジジイが不治の病で助からないと言った。  そして、半年もたたないうちにクソジジイは死んだ。  オレはクソジジイの病名が肺癌だなんてことも、エイズだなんてことも知らない。 「Pandora商会の方法はわかった。それで依頼を聞いてくれるか?」  男は庭を見渡せるテラスの椅子に座り、オレを見てそういった。 「依頼を確実に実行するという保証はない。オレができるのは祈ることだけだ」  オレは男を見た。  ピンストライプのスーツから、糊の効いたワイシャツの襟が男の首をおおっている。首は日焼けしていない。かと言って、陽のあたらない空間をうごめいて美食に走っているようにも見えない。顔に贅肉がないのだ。どうやら室内施設で身体を鍛えているらしい。正当な職業についているのだろうか?男の全身から何かが漂いでて、ふと、そんな思いが湧いた。 「わかってる。ヤツにとって最良の事態を祈ってくれ」 「というと、神への路か?」 「そう言うことになる」  男がターゲットの実態を考えているのだろう。ターゲットの極悪ぶりが伝わってきた。 「そうか・・・」  オレは面食らった。極悪人を「神の路へ進ませたまえ」なんて祈ったことはない。  たとえば、鼠小僧次郎吉みたいに、善行を行う心があれば、それなりに祈り甲斐があるが、『生まれながらに、悪の固まりのようなヤツのために祈るのは効果が無い』との思いが先走る。これは一般的慣習に浸りきった者の考えだ。オレはそういう人間ではない。  しかし、オレは少数派だ。やはり一般的な考えが、オレの独自思考に爪を立て、気が引ける思いにオレを引きもどそうとする。  祈るのがオレで、祈りの対象が極悪人でも、祈りに応ずるのはオレではない。それはわかっている。  どこからか、「わかっているなら祈りなさい」と聞こえる。「祈れ」ではない。「祈りなさい」だ。 「誰が祈りを実行するかなんて、私は問わない」  どこからか聞こえた言葉を代行するごとく、男が言い、 「とりあえずの・・・、茶菓子だ」  テーブルに六法全書程の紙包みを置いた。 「わかった。そのままオレがいいというまで、男のことを考えてくれ」  オレは考えるのをやめた。 「わかった・・・」  男はテーブルのコーヒーカップを取った。熱いだろうに、平然と飲んでいる。男から、対象の極悪な実態が伝わってきた・・・。                           (了)
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