1.男は駆け、女は静かに…

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1.男は駆け、女は静かに…

 女は男に怒鳴った。  「やかましんだよ人殺し!」  男はたじろぎ痰の詰まった咳払いを一つした。  「そんなものにどんな値打ちがあるんだか。いいから俺についてこい」  辺りは暗がり、街灯は点滅している。  女はめいめい泣いた。  「泣いたって、しょうがないじゃないか……。俺だって泣きたいさ。」  雪の上で男女は佇み、女の胸には死んだ赤子が青くなって死んでいる。  男は赤子の頬にキスをして、屍のように頬を落として涙を流した。  「沢山の歓声がして、私は叫んだの。とても嬉しくて叫んだのよ? 辺りはまるで静かで、私はあなたを待ってたの。なのにあなたは馬鹿みたいにはしゃいで、この子のとこに駆けてきた。あれがだめだったのよ……あれがだめだったのよ!」  女はヒステリックを起こし叫んだ。  月明かりは女の髪を艶やかに潤し、辺りの雪によって一層幻想的な哀しみを生み出した。それはあまりにもグロテスクで、あまりにもリアリティで、男は見惚れ、吐き気を催した。  「俺は帰るよ。お前もついてこいよ……そうでもないと、後にはおまえとその子だけだ。おまえにはその子だけが残るんだよ。」  男は図太い指を丸めて握りこぶしを作った。寒さに首を縮めて、男の短い腕はコートの中に失せる。  重い長靴で、雪を一歩一歩踏みしめる。男の歩んだ後には漆喰の穴が残る。  雪を潰す音は薄暗い雑木林の小道に響き渡った。草むらには虫はいない。小動物もいない。生命は無いのだ。    女は赤子を腕の中で暖めた。  いくら女の熱い涙が赤子の膨れた頬に流れても、赤子は泣きもせず、笑いもせず、温かくもならなかった。  街頭は点滅し続けている。直に消える。
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