樹海と富士山と神様と

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 晩秋の肌寒い昼中、私は車で富士の樹海へ向かっている。死へ向かいながらも絶望していないからだろうか、奇跡の展開を期待する自分が心の奥底に潜在するようで最期の最期に大どんでん返し、そんなことが起きたらいいのにと願う気持ちがひょっこり現れ、何かいいことがありますようにと冥々の裡に神頼みする自分に気づく。この期に及んで何てこと、往生際が悪いぞと自分で自分に言い聞かせていると、道端で親指を立てながら右腕を道路に向かって突き出している男が視界に入った。紛れもなくヒッチハイクのサインだ。長身で欧州人のようだ。こういう場合、愛想よくするものなのに何故か、むすっとしている。私は危険な香りを感じたが、死に行く身だからだろうか、却って危険を受け入れたい気になって車を路肩に停めると、彼は私の車に駆け寄って来て日本人のような遠慮する素振りを一切見せることなく助手席のドアを勢いよく開けて背負っていたリュックを下ろしながら乗り込んで来た。 「ふう~、助かりました。私、イタリア留学生です」  彫りが深くて濃いめの目が覚めるようなイケメン。まるでイタリア系アメリカ人のハリウッドスター。こんな男と巡り合えるなんて正にいいこと。願いが叶ったんだわ。更にいいことが起こる前兆かも。そう期待する私にイタリア男は言った。 「青木ヶ原まで、お願いします」 「えっ!」偶然!まさか!と私は驚いた。しかし、単に観光に行くんだろうと察すると、「分かったわ」と言って車を発車させた。 「いやあ、いいチャンス来ました」とイタリア男は唐突に言った。  私のハートはドキリとして、「チャンスって?」と訊いた。 「私、日本に来て期待外れだったです。浮世絵見て日本美しい国とゴッホ思いました。私も思いました。でも、日本来てがっくりです。ゴッホも今、日本来たらがっくりします」 「何で?」 「最初、電柱電線一杯見てがっくりします」  ああ、確かにヨーロッパは無電柱化が進んでるけど日本は遅れてるからなあ、実際、景観を大いに損ねてるもんなあ、と私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに看板多いです。見苦しいです」  確かに欲望を曝け出すように利益の為の宣伝が雑多で景色を醜くくするわね、と私はこれにも納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに伝統守られてません。日本らしい美しい建物、名所だけです」  確かにヨーロッパはしっかり守られてて新旧融合してるけど、日本はヨーロッパと違って木造ばかりで地震火事戦争で多く失ったって事情があるにしても節操なくて新旧バラバラでほとんど駄目ねえ、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに名所と家ミスマッチです」  確かにヨーロッパは歴史的建造物と一般の家々との風景が調和がとれていてマッチしてるけど日本は調和もへったくれもないものねえ、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに建物以外も西欧の贋物ばかりです」  確かに文明開化以来、西洋の猿真似、戦後はアメリカの猿真似をして来たようなものだからね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「同じ仏教国のチベットとは大違いです」  確かにラルンガルゴンパみたいに神聖な紅色で統一された風景やオリジナルの物と文明の利器を上手く組み合わせた文化とは大違いね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに車のデザイン駄目です」  確かにカーデザイナーの巨匠を多く輩出して来た車先進国であり車デザイン王国であるイタリアの国民から見ればね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに道悪いです」  確かに一般道がモーターレースにそのまま使えるように出来ているイタリアの国民から見ればね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに道狭いです」  確かに時代が進むにつれて車が大きくなって車幅が広がって行くのに道幅は変わらないものね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに日本女性慎ましい思ってました。でも、違います。女子高生スカートとてもミニです」  確かに露出が行き過ぎてるわね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに日本人笑顔大切言います笑顔強要します。だからへらへらします。イタリア人強要しません。いつも笑顔忘れませんから」  確かに日本人は昔から外国人と比べて暗いと自覚してるし、暗いと思われないようにするし、気に入られようとするし、近ごろではコロナウィルスの免疫を作ろうとするから空笑いや作り笑顔をよくする上、ラテン系の根が明るいイタリア人から見ると日本人が笑ってても不自然さを感じるだろうからなあ、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに日本人穢れ嫌い清潔好き思ってました。でも、風呂入るだけ心磨きません」  確かにGHQの3S政策を引き継ぐ政府によって堕落してしまったわね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに穢れ落とすため禊しません。でも、コロナ禍、手よく洗います」  確かに、それは皮肉ね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「おまけに日本人言葉大切する思ってました。でも、言葉滅茶苦茶です」  確かに大人が子供と同じようにめちゃくちゃとかめちゃめちゃとかむっちゃとかめっちゃとか変な形容詞を矢鱈に使うようになったわね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「日本イタリアよりいいの電車時間正確それだけです」  確かにその点はイタリアは好い加減そうだけど、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「但、富士山いいです。富士山みたいな山、イタリア無いです」  確かに、だから青木ヶ原に行くのね、とこれにも私は納得して、「そうね」と答えた。 「それとあなたみたいな女性、イタリアいないです」 「えっ!」と私は思わず声を上げるや、イタリア男は女好きというワードが頭に浮かんで私のハートは再びドキリとした。 「あっ、言い遅れました。私、ロレンツォです。あなた名前なんですか?」 「わ、私は聡美」と思わず下の名を言う。下心の表れか。 「おう、さとみさん。いい名ですね」とロレンツォは一段と明るい声で言った。  やっぱり女好きなんだわと思ってまた私のハートはドキリとしたが、彼はそれ以上、私について触れなかった。そりゃあそうよね。徒でさえ冴えない風采なのに自殺しようとする女に魅力を感じる訳ないもの。あなたみたいな女性、イタリアいないですとはあなたみたいな暗い女性、イタリアいないですってことだったんだわ。だから専らロレンツォはコロッセオだのパンテオンだのピサの斜塔だのトレビの泉だの水の都ベネチアだのタルガフローリオだのと言い立てて自国の景勝の自慢話に終始した。  その間、国道139号線を突き進み、青木ヶ原に差し掛かり青木ヶ原を横断する途中でロレンツォが、「ここで良いです。あと歩きます」と言ったので車道外側線沿いに停車して彼を下ろした。 「ありがとう!さとみさん!」  ラテン系らしく自然に溢れ出る笑顔で言ってくれた。ほんと颯爽としていてカッコいい。彼を乗せられたことは確かにいいことだったけど、何も劇的に運命を変えるようなことは起こらなかった。それならせめて私を犯して欲しかった。死ぬ前に快感を味あわせて欲しかったのだ。披瀝すれば、そんな浅ましい欲望があった。それなのに彼は私に指一本触れなかった。では一体、彼の言ったチャンスとは何だったんだろう。出し抜けに日本にケチを付けた所を見ると、日本に来てうんざりしてたことを日本人に直接ぶちまけられるチャンスがやって来た、そういうことだったのじゃないだろうか。何だ、そうか、そういうことかと悟ると、只の嫌味な奴じゃないかと不満たらたらになった私は、車を再出発させ、陽気に手を振る彼の横を忌々しく思いながら通り過ぎた。  乗り込む前は不機嫌そうだったのにここまで乗せてもらって、これで日本の中で唯一好きになれた富士山を見られると思ったから機嫌よくなったのかと私は気づくに至った。成程ね、確かに富士山だけだわ。何が美しい国よ!和洋折衷和魂洋才全然できてない!付け上がるんじゃねえ!身の程知らずが!こんな有名無実な国、私と一緒に亡くなってしまえばいいんだわと私はまたしても彼に納得させられた形になった。
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